2015 by Yuki Takai

shutterstock_125010590.jpg

あまり新年の抱負や目標を立てた覚えがない。

初詣に行っても、だいたい健康に過ごせることと、仕事とプライベートが順調であるように、というざっくりしたお祈りをその時々で行った先の神様にしている。特段そういう主義というわけでもないけど、その場で「今年はこれ!」というものが思い当たらなくて、「ま、1年後に良い年だったなと思えるようにしよう」と根拠なくポジティブに切り替えるきっかけくらいになっている。

今年は会社で年末に書き納めと、年始に書き初めがあったから少し困った。どちらで書いた抱負も、もちろん嘘ではないし真面目に考えたけど、実は寸足らずのような丈の長いような、ちょっと着心地の悪い感じが残っている。

晴れやかな気持ちで、新しく大きな決意を掲げたい気持ちはあるけど、その気持ちに見合う何かを成すには1年では短すぎる気がするし、1年で成せるサイズの目標を立てて、タスク消化をするようにこれからの1年を過ごすのもいまいち気が乗らない。
1年では短いし、5年先の未来は予想がつかない。とすると、3年周期くらいのサイズ感が性に合っているのかも知れない。そう考えると、今年は今の仕事を始めて実質3年目だということに思い当たる。

2013年はスタート。
前年の秋にロフトワークにジョインして、クリエイティブの領域で走り出した年。ただでさえ初めてのことだらけの中、会社としても新しいチャレンジとしてKOIL立ち上げのプロジェクトにどっぷり浸かった。ものすごく大変だったけど、その分アドレナリンも出てたせいか、思い返せば楽しかった。

2014年は山あり谷あり。
これまで発信し続けてきた縁がつながり、3月に開催された 3331 Art Fair の企画に関われたし、4月には無事KOILもオープンさせることができた。年の後半は、力不足もあってなかなか思うように進められずに苦しい場面も多かった印象で終わってしまったけど、今振り返れば、前半は成果が出たおかげで割とスポットライトも当ててもらえたし、夏には結婚もして、充分ハイライトもあった年だった。例年にも増して、すごくあっけなく過ぎ去ったように思えたのは、その分濃い1年だったからかも知れない。

ロフトワーク3年目の2015年は、ひとつの集大成にしたい。
ここまでの2年間は、ある意味意識的にがむしゃらに走ろうと思ってきたし、実際にそうして走り抜けたと思う。それが必要だったと思うし、だからこその今があると思うけど、その分すっ飛ばしてきたこともあるはず。だから今年は、改めて足元を踏み固めて、ちゃんと自分の土台を積み上げたい。何か目に見える結果が出せるに越したことはないけど、ロフトワークのクリエイティブディレクターとして、ひとつここまで来たな、と思いたい。自分でそう納得できるように仕事をしたい。
そして、その外に一歩足を踏み出したい。「クリエイションに評価と対価が巡る仕組みを作りたい」なんて掲げているけど、正直これまでの2年間は何にもできてない。それも駆け抜ける中ですっ飛ばしてきたことのひとつ。もちろん 3331 Art Fair へのコミットはその一歩だとは思っているけど、次の3年で、もっとちゃんとパワーを割いてアクセルを踏んで、個人の高井勇輝として踏み出したその足を広げていけるように、まず今年はどの方向にハンドルを向けるのかを定められればいい。
これから行う結婚式だってある意味自分たちで作れるクリエイティブなプロジェクトだし、敬愛すべき広告キャンプのメンバーともまた一緒にブギーでロックな企みをしたい。多分きっと、そういう中から自ずと見えてくるものがあるんだと思う。

そしてその次の3年は、…まだ予想がつかないけど。
ま、また振り返った時に良かったなと思えるようになっていればいい。

今年もよろしくお願いします。

未知の領域に挑み続けるクリエイティブディレクター:高井 勇輝 ロフトワークディレクター分解シリーズ Vol.5 by Yuki Takai

main.jpg

ロフトワークのディレクターを一人ひとり紹介するコーナー、ディレクター分解シリーズ。

今回は入社して間もなく大プロジェクトに抜擢され、全く未体験の領域にも関わらず見事やり遂げた高井が登場。若手ながらバランスが良く安定感があり、周囲からの信頼も厚い今後の進化が楽しみなディレクターです。
(聞き手:PR石川)

ー前職は何をされていましたか?

インターネット広告会社に新卒で入社し、アカウントプランナーとして、不動産や化粧品、健康食品、ゲームコンテンツ等、幅広い業種のクライアントを相手に提案からディレクション、そして運用まで一連して担当していました。スピード感あるベンチャー気質の会社で、プッシュ営業もやりましたし、代理店、メディア、クライアントと、様々なステークホルダーに囲まれて仕事をしてたので鍛えられましたね。
クライアントとメディアの間に立って調整しながらプロモーションプランを実施していくのは、今のロフトワークでやっているディレクションに共通するものがあると思っています。

ーどういう案件が得意ですか?今までどのような案件に関わってきましたか?

2012年11月に入社したので、ロフトワークに来てちょうど1年半(インタビュー時)、Webサイトリニューアルやコンテンツ案件も担当してきましたが、他にも新規自社サービスの立ち上げとか、空間ディレクションや、新しいCMS導入など、ロフトワークのディレクターの中でもかなり幅広く関わっている方だと思います。結果的にまだ誰もやったことないような新しいタイプのプロジェクトが多いかもしれません。
ちなみに、ロフトワークに入社するまでWebのディレクションはほとんど経験がありませんでした。HTMLは知っているけど書いたことはない、Photoshopなどのデザインツールは多少触ったことがある程度で、制作系の知識は充分とは言えませんでした。

ー柏の葉のオープンイノベーションラボ「KOIL」が4月にオープンしました。高井さんはこのプロジェクトにずっと関わっていたそうですね?

01.jpg

三井不動産のイノベーションセンター「KOIL(Kashiwa-no-ha Open Innovation Lab.)」プロジェクトにおいて、ロフトワークはコンセプトの提案から空間デザイン、会員システム、Webサイトまで幅広くクリエイティブ全般をサポートしてきました。

KOILは、電磁石の「コイル」をイメージしていて、「磁場」となっていろんな人が集まり、場所や僕らが触媒となって、いろんな人が交わって刺激しあって、イノベーションが起こるエネルギーが生まれる場所にしたいという思いから名付けられています。

僕は入社1ヶ月後にこの大きなプロジェクトに携わることになったのですが、担当したのは結果的に非常に多岐に渡っていて、空間ディレクションから、会員管理システム構築、映像音響設備プランニング、プロトタイピング機器プランニング、インターネット環境プランニングから、気付けば最終的には運営計画の部分含めて全体に関わっていました。

成瀬猪熊建築設計事務所が空間設計を担当し、バッタネイションの岩沢兄弟とも一緒に家具の設計をしたのですが、自分で空間のコンセプトを決めてぐいぐい推し進めるというよりは、僕は運営側からの必要な視点でのフィードバック、逆に建築現場からの意見を運営側にフィードバックしたり、全体を俯瞰して、要望をそれぞれのプロフェッショナルに上手に伝えて間をつなぎ、彼らに十分に力を発揮してもらえるようにすることを心がけました。

インターネット環境プランニングでは、どのWiFiルーターをいくつ・どの構成で置くか検討したり、また「KOIL FACTORY」に設置する、レーザーカッター、3Dプリンター、3Dスキャナー、3Dモデラー、その他工具一式といったデジタルファブリケーション機器や、KOIL全体の映像・音響機器のディレクションと調達も行いました。
もちろん、僕はこれらの分野のプロフェッショナルでは全然なかったので、それぞれの専門家とコラボレーションしながら、手探りながらもプロジェクトを進めてきました。

また会員管理システムの構築に関してはメインでディレクションとプロジェクトマネジメントを行っています。 会員情報のDB、申し込み機能から課金システム、予約システムなどと連携が可能なパッケージを検討し、Bplatsを導入しています。施設予約システムに関してはリザーブリンクを採用しました。

ー同じプロジェクトでも本当に多岐に渡る案件に携わってたんですね…。なんというか、全体俯瞰できて、フットワーク軽くて、気が回る高井君だからこそ、役割を果たせたんじゃないかと思えてきました

はい、どこからどうボールが転がってくるか分からないから、とにかくレシーブしまくった感じです。
大小含め、タスク量はすごく多かったですね。
プロジェクトマネジメントともディレクションとも違う、例えて言うならサッカーの「ボランチ」みたいなイメージで、フットワーク軽くセカンドボールを拾って、適切な相手に展開してプロジェクトがスタックしてしまわないように前進させることを意識しました。
例えばなかなか捕まらない代表の諏訪と林を捕まえて意思決定の場を整えるとか。
とにかく、来たボールをしっかり展開して、彼ら(設計する人間やコンセプトを決める人間)のアシストをすることに集中しました。

ー言い方は良くないですが、「最強の雑用係」だったんですね!

02.jpg

はい、まさにそんな感じです(笑)

ーでもフォロー力と処理能力が高くないと務まりませんからね。スーパーマルチプレイヤーということにしておきましょう!
…苦労話とかありますか?

この規模の「イノベーションセンター」をつくったのは日本初で、誰も見たことのない正解を知らないものを創らなきゃいけない中、建築とか空間とかシステムとか、全部ほぼ未経験の中、初めてのことだらけで全部手探りの大変さは当然ありました。 担当クリエイティブディレクターとしてこの大きなプロジェクトに関わっているというプレッシャーは常にありました。
これだけの規模のプロジェクトとなると、ステークホルダーも多く、皆頭のなかに描いている画が微妙に違うのは仕方がありません。
その中でひとつずつ合意形成していくのも大変でした。でもだからこそ、相対するのではなく、みんなで同じ目標や課題を見据えて進めることができたという面もあって、クライアントと同じ方向をみて進められたところは良かったと思います。
あとは発注が来なくて動けないとか…そういった苦労は、往々にしてありましたね(笑)。

ー話変わって、これから伸ばしていきたいスキルはなんですか?

新しいサービスをつくってみたいと前からずっと思っています。
KOILではプロジェクトを描くというよりは推進していくという役割だった反面、今後はもっとコンセプトメイキングなどができるようになりたいです。価値ある「0→1」を描き「1→10」を着実に積めるのが本当のクリエイティブディレクターだと考えていて、リーン・スタートアップやグロースハックのスキルもそのために要るものだと思っています。

なので、クリエイティブディレクターという肩書きは重いですが誇りでもあるので、本当の意味での「クリエイティブディレクター」になるべくこれからも頑張ります!

アート体験を最大化するアートフェアのUX設計 3331 Art Fair ‒Various Collectors' Prizes‒を終えて by Yuki Takai

プライズセレクターのひとりとして参加させてもらった3331 Art Fair –Various Collectors’Prizes–が無事閉幕しました。

「難解だ」ともすれば「自分には分からない、関係ない」と思われてしまいがちな現代アートに対し、「アート界の内側」のひとだけでなく、起業家やごく普通の若者としての僕も含め、多様なひとたちが個人的なプライズを出すことによって、「アートを買う」という行為を通じて得られる体験を身近に伝える、というチャレンジングな試みでしたが、最終的には動員・購入点数としても充分成功と言っていい結果になれたことは素直にとても良かったと思います。

累計入場者:約2,000人(関係者を除く)。
出展作家:91組 出品点数:300点以上。
売上点数:122点。(edition,multiple作品含む。)

 

今回、「高井勇輝賞」として購入・プライズとしたのは、黒川彰宣さんの「判断のしどころ」という作品。

これは、もともとは2013年のG-Tokyoで初めて知ったもので、「何だこれは」という形状に目が止まり、タイトルとそれに込められたコンセプトを知ってから見ると色々な解釈の可能性、想起されるイメージの広さが面白いなとずっと気になっていた作品。他にも面白い作品はあったけど、今回こういう機会でまた出会ったことに縁も感じて、プライズに選びました。

 

個人的にも納得のいく作品を購入できたし、アートフェアとしてもとても価値のある一歩になったけど、コンセプトの大元の部分で少し関わらせてもらって、またコレクタープライズのプライズセレクターとして実際に作品を購入して、改めて感じたこともありました。

 

「アートを買う人」の再定義

「Various Collectors’Prizes」と銘打たれた今回のアートフェア。もちろん「アートを買う人」という意味では「コレクター」という呼称が最も一般的だし、分かりやすいのは間違いない。

でも、個人的には作品を収集することを目的にしているわけではないので、自分がコレクターなのか?と考えると、そうくくられるとちょっと気後れするというか、違和感のようなものを感じたのも事実。

じゃあ、自分は「アートを買う」という行為をどう捉えているかというと、なんというか、「アートが新しい世界の姿(世界の見方)を暴こうとするその活動に、俺も一枚かませてほしい」みたいなイメージなんですよね。蒐集家ではなく、賛同者、共犯者、共謀者、的な。

そういう新しい意味付けの名前をつけて、アートを買うという行為をアップデート、再定義できたら、「自分はコレクター(アートを買う人)じゃないしなー」と思ってしまう人たちにも新しい受け入れ方をしてもらえるんじゃないか。

 

解説者=水先案内人の存在

今回に限らず、こういう場所にはもっと作品や作家について語れる人がたくさんいていい。「アートは決してただ難解なだけじゃない」とは言っているものの、何度も書いてはいるけど、やっぱり、自分一人で作品と向き合って、身銭を切ってまで買おうと思えるほどの価値や面白みを発見するのはさすがになかなか難しい。

実際、今回購入した上記の作品も、G-Tokyoでギャラリースタッフの方とお話してコンセプトを手ほどきしてもらっていなかったらその面白さには気付かなかったし、きっとただ変わった見た目とタイトルの作品だな、くらいにしか引っかからなかったと思う。

せっかくアートフェアという一度に色々な作品と出会って、実際にそれを手に入れる機会がある場だからこそ、作品について語れる立場の人の数をもっと増やして、誰に話しかければ解説を聞けるのかも分かりやすくして、作家やギャラリースタッフと対話しながら価値を発見するという体験にフォーカスしたつくりにできたらいい。特にせっかく3331っていういい意味で敷居が低くて温かみのある場所なので、ART FAIR TOKYOとか他のアートフェア以上にそこを強みにしていけたらよりコンセプトの実現に近づけるはず。

 

アートは「買えるもの」だけど、「買わなきゃいけないもの」じゃない

今回は初めての試みということもあり、事前にプライズセレクターを集めたことで、コンセプトの分かりやすい打ち出し方としては良かったと思う。

でも、やっぱり最初から「プライズセレクター」と「一般客」が分かれてしまうと、普通に来場する人にとってはいわゆる「コレクター」と同じように、「自分とは別カテゴリの人たち」という風に見えてしまって、「アートを買う」という行為を自分事として捉えるには遠い気がする。

逆に、プライズセレクターにとっても、事前に「選ばれて」しまっていることで、どうしても「買わなきゃいけない、選ばなきゃいけない」というプレッシャーを感じながら見てしまうし、「買わなきゃいけない」で選ぶと、どうしても消去法的になってしまって、本来の作品との出会いや価値観のせめぎあいの楽しみはなかなか感じづらい。(もちろん、購入しなくてもプライズは出せたし、プライズを出さないという選択肢もきちんと担保されていたけど)

やっぱり理想としては、あくまでオープンに、買おうと思った人がその場で自由にプライズ授与を表明できるといい。そして、買おうと思った理由、いいと思った理由を言葉にしてもらって、なるべくリアルタイムにその作品の横に掲示できるといい。

それができると、その掲示された「理由」自体が作品の価値を伝える「水先案内人」の役割を果たして、他の人にとっても自分では見つけられなかった面白さや価値を再発見できる。そういう体験が積み重なることで、磨かれて、感化されて、「自分も何か買ってみようかな」って一歩踏み出すきっかけがつくれるんじゃないか。


まとめると、

  • 「コレクター」ではなく「自分も参加できそう」と感じられるラベリング・タイトルを見て、なんとなく前向きでわくわくする気持ちになって来場して、
  • 作家やギャラリーのスタッフと話をしたり質問したりして、今までよく分からなかったアートの面白さを発見して、
  • 他の作品を買った人の言葉を見て背中を押されて、思い切って買ってみて、
  • そのとき感じた言葉と自分の名前が、買った作品の隣に掲示されて、なんだか誇らしく嬉しくなる。

そんな風に「アートの面白さを発見する」体験、「アートを買う」体験ができるアートフェアにこれから育っていくとすごく素敵だな、と期待をふくらませています。

改めて、アートについて考える by Yuki Takai

 

2014年3月、このアートフェアの季節にまたひとつ、3331 Arts Chiyodaで新しいアートフェア「3331 Art Fair ‒Various Collectors' Prizes‒」が始まります。

今回、island Japan伊藤悠さんとのご縁で、このアートフェアの企画に携わるチャンスをいただきました。ここ数年間はずーっとアートとアートを買うことについて色々と考え、もがいてきましたが、3年前の「Welcome! Art Office」から始まったこのご縁で、いよいよそのイシューど真ん中であるアートフェアという形でアクションを仕掛けられるのが楽しみです。

それに際し、自分のアートとそれにまつわる諸々に対するスタンスの再確認も兼ねて、勝手に「3331 Art Fair ‒Various Collectors' Prizes‒ 開催に寄せて」という体で、ここ数年間ブログやtwitterで綴り、収集してきた言葉を棚卸しして、改めてぎゅっと凝縮・再構成してみたいと思います。きっと俺的アート論のベストアルバム的なエントリになるはず。

※引用元はリンク先にてご参照ください。

 

***

 

アートとは何なのか。何が面白いのか。

 

ここでいう「アート」とは、すべてとりわけ「現代アート」のことを指す。

きっと多くの人が漠然と抱いてる「よく分からない」もの、というイメージはたぶん、実はある意味とても正しくて、とてもアートの真理を突いていると思う。なぜかというと、アートというのは「新しいものの見方の体験」であり、今の社会に対しての「問いかけ」だから。既存にない新しい価値観で、「答え」ではなく「問い」だから、すぐに分からないのはある意味当然で、そこにこそアートの役割がある。むしろ、この社会の中で「理解」という理屈抜きに体感できる希少なものだからこそ面白い。

アートという、自分の考え方や価値観を拡張させる「思考のツール」に触れることで、新しい「世界の見方」を獲得することができる。端的に言えば、それがアートの「機能」であり、面白さ。そしてそれは、社会的な責任や拘束から自由な解釈可能性を与えてくれるという意味で、未来の希望でもある。アートのそういうパンクなところがたまらなく好きだ。

 

そしてもうひとつ、現代アートの醍醐味は、まさしく「現代」というところ。つまり、「今」に生きるアーティストが「今」の世界に対して「今」表現しているものが現代アート。それを当事者として楽しめるのは今しかない。

そして当たり前だけど、同時代に、同じ社会で何かを感じて、表現をして、作品を販売して、生きている人がいるというところ。それだけで食えている人なんて、一握りどころかほんのひとつまみもいないと思う。でも、そんなに厳しくても、作らなくてはいられないほど表現することが好きな人たちがいる。そんな生活かけて打ち込んでる人の、好きなことについての話が面白くないはずがない。それが聞けるのはともに同じ時代を生きる「現代」アートだから。現代アートは今を生きる僕たちのものだ。

 

アートを「買う」ことの意味と面白さ。

 

こればかりは、「とにかくまずはひとつ買ってみてくれ!」としか言えない。買ったらそれがどんなに豊かな意味を持ってるか分かるはず。そしてそれは小難しい意味どうこうの前に、単純に、アートを観る以上に「面白い」

もちろん値段によって得られる体験や見えるものはまた違ってくると思うけど、この「面白さ」の本質は値段じゃない。たとえ少額でも、他のモノを買うのとは違う真剣さ高揚感がある。

それはきっと、「価値観のぶつかり合い」が起こるから。前述の通り、アートって基本的に「分からない」もの。それに対して、日々常に向き合っている、「価値」の代名詞みたいな「お金」で値がつけられている状況が、より一層「新しい価値観」との遭遇を後押ししてくれる。値段という市場価値や作家(やギャラリー)の評価を比較基準として、自分がその作品のどこにどれだけ価値を感じ、どう位置付けるのかを感じる手がかりにできるから。そこで感じるギャップ、価値観の相違こそが「新しいものの見方」。

だから真剣になる。シャツを買うなら迷わず出せる1万円でも、相手がアートとなった途端に「それだけの価値があるのか」と悩み、迷い、それでも惹かれて、「ええい!」と一大決心をして買う。そして、「買う」ってことは、ある作品という価値の不確定なものに対して価値を認め、評価を付けるという行為でもある。売る側としては値段をつけるだけならいくらの値をつけようが勝手だから、その作品の「価値」は買われることで初めて認められ、「生まれる」。つまり、新しい価値を生み出すという意味では、アートを「買う」ことはアートを「作る」ことと同じくらい重要なクリエイションだと言える。

 

もちろん、「買う」という行為だけでなく、アート作品という商品そのものにも他のモノにはない特性がある。それは、基本的には「この世にひとつしかない」ということ。

アートというメッセージ性の高いものを、一大決心をして選び手に入れたということは、「自分はこれの価値を知っている」という自己表現であり、それがたったひとつしかないということは、その自己表現は最初にその価値を発見し、買ったその人だけに許された権利だということ。アートとは、ファッションよりも、音楽よりも、自分自身の個性や価値観を表現できる趣味嗜好でもある。

 

そして、現代アートは買った後も「育つ」楽しみがある。

アートは「問い」だから、時が経ってから向き合えば、最初にその作品の前で感じたのとはまた違うイメージや感情、「答え」が浮かんでくることもある。そういう自分を写す「鏡」としても育っていくし、現存するアーティストだからこそ、自分が価値を認めた作家と作品が、この後どういう道をたどっていくのか、世間からどういう評価を受けていくのか、そういう意味で育っていくのを見るのも楽しい。単純に投機的な意味だけでなく、いつかもしそのアーティストが世界的な評価を得たら、「ずっと前からすごいと思っていた」という目利き感も味わえるかもしれない。

このアーティストが次にどんな作品を生み出すのか、それを一番楽しみにできるのは、作品を買った人。自分が払ったお金がアーティストのご飯や絵の具になって、次の作品になるというつながりが感じられるから。そこには、CDを買って一票投票するよりもっと直接的に、アーティストの人生と100年生きるかもしれない作品に関わってる手応えがある。

 

そう、いつか数万円で買った作品も、自分の人生よりずっと未来まで残るかもしれない。それがもうひとつ、「伝える」というアートの面白さ。

これはかなり上級で高尚な楽しみかもしれないけど、コレクターの本質的な役割でもある。まだ誰も見つけていない価値を発見し、買うことで価値を定め、未来に届ける。それは作品の価値が分かり、幸運にも買うことができたコレクターの「ノブレス・オブリージュ」。

もちろん全部が全部後世まで残るわけではないし、「結局価値を認めたのはアーティスト本人と買った自分だけでした」ということもざらにあるだろうけど、それでもアーティストと価値観の真剣勝負を重ねて磨いた感性は失われることはないし、きっと道楽としてはかなり割のいい趣味のひとつなんじゃないだろうか。

何より、“100年後もどこかの家にかかっている作品が、今は自分の家にあるって思ったら素敵じゃない?

 

 

ここまで2,500字以上かけて綴ってきたけど、少しでも何かが伝わったならぜひ実際に体験してみてほしい。初めてアートを買った時の「あぁ、買えちゃったなーっていう謎の感慨」とか、「決断するのにもの凄く必要だった勇気」とか、その後の「なんとも言えない達成感」とか、「この世にひとつしかない物を所有できる幸福感」とか、「作家の歴史を預かり大切に保存しなければという緊張感」とか、「運命論的な醒めた高揚感」とか、「買った後やけに饒舌に語りたくなる衝動」とか。

その場として、アートフェアはすごくおすすめ。ギャラリーよりずっと敷居が低いし、一度に幅広いアーティストと作品を見れる。何より、美術展のようにただ「鑑賞するもの」としてだけでなく、「自分が(買おうと思えば)買えるもの」として接すると、アートとの距離感が見違えて近く感じるから。さらに、直接アーティストやギャラリストと対話することで、アートが「全然別世界の存在が作ったよく分からないもの」ではなく、「同じ時代に生きるその人が同じ世界を別の視点で表現したもの」だと感じられる瞬間がきっとあるから。その視点や表現に、値札以上の価値を感じたら、対価を払って手に入れればいい。それだけ。小難しいことなんてない。アートと僕らの関係は、単純で、対等で、自由だ。

 

***

 

「3331 Art Fair ‒Various Collectors' Prizes‒ 開催に寄せてとしてはここまで。ここからは、それを広げていくためのヒントを整理してみる。

 

「アートに触れる場所」はどうあるべきか?

 

上に書いた通り、「アートを買う」ということは「価値観のぶつかり合い」の末に「作品の価値を認めて規定する」ということだから、その前提として、観る者に対して「ぶつかり合う土俵に上げてもらえるだけの価値」は伝えなければならない。パラドックス的だけど、スルーされてしまってはそもそもぶつかり合いは始まらない。みんながみんな、上で書いたようなことをかけらでも認識して観てくれるなら無用の心配かもしれないけど、そうじゃないし、そういう人たちに「こちら側」に来てもらうような仕掛けをしていかないと、いつまでもアートは狭い内輪だけのもので、その外の人にとってはただの「よく分からないもの」のままで終わってしまう。もっとそれを伝える努力と工夫はできる余地があるはず。

 

「何を」伝えるのか。つまるところ、それはアート作品の「価値」なんだけど、もう少し具体的に紐解くと、一番伝えてほしいのは「アーティスト本人の言葉」。ただ「なんとなく」とかじゃなくて、ちゃんと本人の言葉で、自分の文脈で、意図を、思いを、伝えてほしい。つたなくてもいいから、自分の言葉で伝えて、こっちに「その志、買った!」って思わせてほしい。それが伝わる瞬間が一番ぐっとくるし、やっぱり作品がただあるだけじゃ分かんないから。

もうひとつは、「現代美術のコンテクストの中での位置付け」。今までと矛盾するようにも聞こえるかもしれないけど、「アートは分からないからいい」というのは、決して「分からないまま片付けていい」って意味じゃない。「分からない」ものに対して、自分がどう解釈するか、何を感じるか、どういう価値を見出すかが面白いポイントなわけで、言ってみればアートは作品の背景や意図を探って楽しむコンテクストゲームでもある。それを楽しむ一助として、何の事前情報もないまま「感じろ!」というスタンスで観るのと、参考までにだとしても、作家が本来意図した「解答例」や「楽しみ方」を頭に置いてから観るのとでは面白さが全然違う。自分の「答え」とアーティスト本人の「答え」が違ってもいい。その違いが面白い。

 

それらを「どう」伝えるのか。アートフェアや個展の場合は、アーティスト本人やギャラリースタッフが在廊して直接話してくれるチャンスがある。繰り返すけど、それは本当にアートフェアのいいところ。でも、それらも含め、広く「アートに触れる場所」がこれからまだまだ工夫できるところがきっとある。

例えば、キャプション。どういうタイトルが付けられているのか、それがいつ作られたのかという情報だけでも、作品の価値とコンテクストを探る手がかりになるし、ちゃんとあるのとないのとでは、作品に没入する心理的なハードルさえ変わりうる。解説シートなどのハンドアウトもそう。その作品のどこにどう着目すべきかのガイドとなり、作家や作品とライトコレクターになりうる一般消費者をつなげる存在=ブリッジメディアの拡充と設計が、アートの面白さを伝え、その次へ行く背中を押す上でとても重要だと思う。

 

そして、アーティストの言葉を伝えるのと同時に、それと同じくらい、観る人の言葉ももっと伝えてほしい。「自分の言葉にする」ことは、「自分の評価を下す」ことだから。それがもっと普通になっていけば、その評価の先に、アートを買ったり、「鑑賞」だけでないアクションがもっと広がるはず。やっぱりアーティスト側の言葉だけじゃだめで、それだけだときっと見る人はそれを唯一の「正解」だと受け止めて、そこで止まってしまう。そうじゃなくて、「でも自分はこう思った」とか、「また別の人はこう解釈している」みたいな、そういう言葉=評価が自由に飛び交う状況こそが、「色々な価値観があってよくて、その多様性こそが新しい可能性へつながる希望なんだ」というアートの本質を体現していると思うし、アートが機能しているっていうことになるんだと思う。そういう開かれた「批評空間」を作っていくことも、ギャラリーや美術館、アートフェアやイベントなど、「アートに触れる場所」がこれからしていかなければならないことのひとつ。

ただ作品を「観せてあげる」場所としてだけじゃなくて、そこに来ることで、触れることで、「感性を鋭敏にさせる媒体プラットフォームとしての機能」を目指す方向のコンパスとして、試行錯誤をしていこうと思う。

 

企みの走り書き

 

この「アーティストと作品を伝えるブリッジメディア」と、「見る人がその解釈を言葉にできる空間・仕掛け」こそ、インターネットとタブレットなどのスマートデバイスが絡むと面白いことになるはず。以前ステルスでコンセプトのテストをしたZulogはまさにそうで、実際に得られたフィードバックも思ったよりずっとポジティブなものが多かった。

このときは、美術館を想定していたから、作品の画像や情報を取り扱う権利問題をクリアするのが大きなハードルとして残ったままだったけど、アートフェアを舞台にして、買われる前の作品を対象にするなら、出展ギャラリーとアーティストの協力さえ仰げれば実現できる可能性があるんじゃないか?今回はどこまでそういう要素を仕込めるか分からないけど、その可能性はぜひ探ってみたい。

 

もうひとつ、いつかやってみたいことは、アートフェアを舞台に、みんなの「アートを買う」という行為を主役にして、それ自体をひとつのアート作品にしてしまうこと。

上にも書いた通り、「アートを買う」ってことは、それ自体新しく価値をつくる創作活動だから、いろんな人のその瞬間を捉えて、形にして、参加者みんなでひとつの作品をつくりたい。それがポートレートなのかムービーなのかは分からないけど、きっと、きらきらした真剣さとか高揚感とか達成感とか緊張感とか幸福感とかが結晶になったものになるはず。

 

アーティストと同じくらい、アートを買う人も主役になれる。それを目指す第一歩として、誰か偉い人から一方的に与えられる権威的な「賞」ではなくて、普通の色々な人たちが、自分の視点で、それぞれに見つけた価値を喜び、それを生み出したアーティストに「ありがとう」を伝えるような、身近で軽やかな新しい「賞」の形をつくりたい。その方が、対等で、多様で、パンクで、ずっとアートらしくていいと思う。

だから、今回のアートフェアのテーマは、「Various Collectors’ Prizes」。何十人もの人がそれぞれの価値を見つけられたらきっと何か変わる。 

その中でも、もっと20代とか若い人たちにもプライズセレクターとしてアートを買うことに目を向けるようになってほしい。現代アートは今を生きる「僕たちのアート」だから。初めての今年は、その思いを背負って、僕も最初のプライズセレクターのひとりとして参加します。

同世代の普通の人がアートを買って、好きな理由・買った理由を自分の言葉で熱く語るのを聞いて、いつかその人が「買う。私も私の価値を見つける」とこちら側へ一歩踏み出してくれる呼び水になれたらいい。

 

もし少しでも共感してくれる人がいれば、ぜひ頭(アイデア)でも声(拡散)でも足(来場)でもいいから力を貸してくれると嬉しいです。きっと面白いことが起こせるから。ご連絡お待ちしてます。

あなたのリーンスタートアップがうまくいかない4つの理由と覚えておくべき3つの心得 by Yuki Takai

main_img.jpg

「リーン」って具体的にどうやるの?

耳にすることも多くなり、すっかり定着した感もある「リーンスタートアップ」という言葉。関連記事を読んだり話を聞いたりすれば「おっしゃるとおり!」と納得するけれど、いざ自分でやってみようと思うと、何から始めてどうすれば「リーン」になるのかよく分からない。そこで、リーンスタートアップの手法のひとつ、『Validation Board(バリデーションボード)』を使って実際にやってみました。

02.png

まさに、百聞百見は一験にしかず。実際にやってみて分かったつまずきやすいポイントや、得られた教訓を、気をつけたいポイント4つと、覚えておくべき3つの心得にまとめてみました。

ポイントその1: 実験仮説の立て方

バリデーションボード」とは、仮説→実験→検証のフィードバックサイクルを繰り返しながら製品の精度を高めていく手法です。最初のステップである実験仮説(Assumption)を適切に立てるところで早速難しいと感じるかもしれません。というのも、「こういうことを課題に感じたことありませんか?」と課題仮説をそのまま投げかけてしまったら、「言われてみればそういうこともまああるかな…」と、幻のニーズに誘導してしまうことになるからです。

それでは「本当に解決すべきニーズなのか」を検証できません。課題仮説そのままを実験仮説にするのではなく、「こういう体験があるなら、課題仮説が正しいと言える」ということを実験仮説にすることが大切です。

03.png

ポイントその2: ユーザインタビューの実践

ターゲットとその課題が本当に存在するのか、それを検証する方法のひとつがユーザインタビューです。無意識に答えを誘導してしまわないよう、そしてしっかりユーザの声を引き出すために、ちょっとしたインタビュースキルが必要になります。
まずは、軸となる質問を聞きもらさないためにも、インタビューシートを持参すること。次に、インタビューが終わったらすぐに振り返ってチームで共有できるように、気になったキーワードやコメントなどは随時メモしながら進めることです。
また、あらかじめ用意していた質問項目以外から、いかにユーザの本音や新しい気付きが得られるかも、とても重要なポイントです。思いもよらない言葉から真の課題が見つかることも多いので、なるべく一問一答のぶつ切りのやりとりにならないように、対話形式でキャッチボールしながら、興味深い話をどんどん掘り下げていきます。
そして、1人のインタビューが終わるごとに、都度インタビューのメモをチームで共有して、「ここが気になる」とか「ここはこういう聞き方をした方が引き出せそう」とか、小さなことでもフィードバックして改善していくと、わずかな人数にインタビューする間でもどんどんいいインタビューができるようになっていきます。バッチサイズを小さくして、フィードバックサイクルを早く回すことがリーンスタートアップの肝です。

04.png

インタビュー結果の何をもってして「検証」するかは、「直感」でOKです。もちろん、判断基準としてのKPIを定めておくのも大切ですが、それはあくまで判断材料のひとつ。

ユーザインタビューでは定量的な調査は難しいので、「アリ」か「ナシ」かの判断さえつけば良いのです。ある程度判断ができたなら、だらだらインタビューを続けるより、さっさと次のステップに移りましょう。「そんなこと言ってもそんな簡単に判断できるもの?」と思うかもしれないけど、意外に大丈夫です。実際にユーザに対峙して直接声を聞くことは、想像している以上に雄弁に物事を語ります。

05.png

ポイントその3: MVPの作り方

MVPとは、「Minimum Viable Product」の略で、「検証に必要な最低限の機能を持った製品」という意味です。つまり、「完璧な企画書を作りこむより、とりあえずでもモノという形にしてみよう」ということ。モノを作り始めるとどうしても「いいモノ」にしたくなってしまう気持ちは分かりますが、大切なのは、「1機能・1プロトタイプ・1検証」に絞り込むこと。欲張らずに、重要な仮説から一つずつ着実に検証していくのがポイントです。
MVPの例としては、Webサービスとして作る前に、単機能のサービスを手動(アナログ)で提供してみてユーザのニーズを確かめるやり方(コンシェルジュ型)もあれば、端的にサービスの特長とビジュアルをまとめてティザーサイトを作り、そこへの反応で検証するやり方もあります。他にも、世界観を表したムービーや、プレスリリース、今ならクラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げるのもMVPになり得るかもしれません。
リーンスタートアップの基本は、「ユーザから学びを得て修正する」というサイクルです。ブラッシュアップするためには、一度対象から離れて客観視することが必要なので、そのためにも、プロトタイプという形でアウトプットを一度出して客観視することがとても大切なプロセスなのです。

06.png

ポイントその4: 検証実験の設計

MVP(Minimum Viable Product)という形ができると、「さあ、あとはこれを世の中に投げて問うだけだ!」と急ぎたくなる気持ちもやまやまですが、ここでいったんその問い方を考えましょう。

大切なのは、ちゃんと「学びを得られる構造が設計されている」かどうかです。十分な数のデータが集められるのか、集まるデータは検証したいことに合致しているか、次のアクションに移るトリガーは何なのか…。MVPがランディングページやティザーサイトであれば、サイトのアクセス解析から色々なデータを取得することができますが、「データは取ったものの、結局この結果って良いの?悪いの?」とならないように、あらかじめ検証方法を考えておかなくてはいけません。

07.png

適切な比較材料や基準となるKPIがなく、判断のつかないような定量データを取るくらいなら、ユーザの声などの定性データから学びや良し悪しの直感を得られるようにした方がいいこともあります。

08.png

そして、検証できたら早く次のサイクルに移れるように、その後のアクションへのフローまでセットで考えておくことも忘れずに。

09.png

「リーンスタートアップ」は「急がば回れメソッド」

やってみて思ったのは、リーンスタートアップとは「成功」にジャンプできる魔法のショートカットではないということです。最初に僕が漠然と思い描いていたのは、「とにかくさっさと作って、駄目ならさっさとピボットすればいいんでしょ?」というイメージでした。一見近いようにも思えますが、でも正しくは「外せないポイントをちゃんと仮説を立てて考えて、それを検証できるMVPをさっさと作り、駄目なポイントがはっきりしたなら、その学びをもとにさっさとピボットする」ということ。このサイクルを早く回すために、バッチサイズは最小限まで小さくするのです。まどろっこしいからと欲張って一度に複数のことを検証しようとしたり、とりあえず製品を作ってしまおうとすると失敗しがちです。「魔法のショートカット」というより、むしろ、愚直に確かめながら進めるという当たり前のことを一歩ずつ、それをものすごいスピードでやるから早く成功できる、ということなのです。自分の思いつきを過信せずに、確実な一歩を早く積み重ねるというド正攻法を貫くこと、それがリーンスタートアップの本質なのではないでしょうか。
今回の取り組みは実質15回、週一回のペースで3ヶ月間やってみました。ぎゅっと集中して取り組めば、2週間もかけずにここまでのことは充分できます。実際には技術的・権利的なハードルをいくつも超える必要がありますが、少なくともスタートアップを進めるときにはどうすればいいのかが具体的にイメージできたことはとても大な成果でした。

リーンスタートアップ「3つの心得」

これらの体験をもとに、リーンスタートアップを実践するにあたって大切なエッセンスを凝縮して「3つの心得」にまとめてみました。

1.自分の感覚を疑い、ユーザの心の声に従え
2.否定を恐れず、修正回数を誇れ
3.サービスにこだわらず、ビジョンにこだわれ

リーンスタートアップは、「早く成功するために、早く失敗して、早く学びを得る」考え方。早くたくさん失敗して、たくさん学びを得たほうが良い、ということです。つまり、アウトプットの質は「何回修正できたか」が規定するとも考えられます。逆に言えば、最初のアイデアは「失敗する前提」。けれども、実現させようと思ったということは、最初のアイデアにそれなりに「いける!」という手応えを感じているはずです。その思い入れが強ければ強いほど、無意識のうちに否定される恐れのある検証を避け、「幻のニーズ」を誘導して自分のアイデアに「幻の裏打ち」を与えてしまっているかもしれません。誰だって自分の素晴らしいアイデアを否定されるのは怖いと思います。でも、だからこそ、まずは自分自身がドライに「このアイデアは自分だけの思い込みじゃないか?」と疑い、思い込みに隠された本当のニーズを暴こうとする作業が大切なのです。
その結果導き出されたソリューションやビジネスモデルに「これは自分が作りたいものじゃない」と感じてしまったら、それはきっと残念ながら「作りたいものを作りたいだけ」だったのかもしれません。ソリューションの形は最初に思い描いたものと違っても、それが解決したい課題、つまり自分のビジョンに合っているものであったら、きっと最初のアイデアと同じように情熱を傾けられるはずです。
「リーンスタートアップ」とは、それに則れば成功が約束されたマニュアルではなくて、文化やマインドに近いものなんだと思います。逆に言えば、この「心得」さえ忘れずにいれば、きっと、たとえ多少進め方が違ってたとしても、ちゃんと「リーンスタートアップ」ができるはずです。

10.png
 

※今回の実践の全スライドはこちらからご覧いただけます。

未来には運命なんてないと思え 過去は正しく定めと思え by Yuki Takai

挨拶もさせていただいたので重複する部分もあると思いますが、節目なので改めて書き残しておきたいと思います。

2012年10月31日をもって、インターンアルバイトから4年間過ごした株式会社セプテーニ・クロスゲートを退職しました。
二晩明けて、最後にいただいた色紙の3面にわたる寄せ書きを読んで、ちゃんと見ていてくれたんだなー、としみじみ感謝を噛み締めています。

本当に、いや本当に(笑)、大変なこともつらいこともたくさんあったけど、ここまで頑張ってこれたのは間違いなく、同期をはじめ、真面目で泥臭くて負けず嫌いでどこまでも一生懸命な、愛すべき仲間がいたからです。周りの仲間の頑張りを裏切れないな、みんなの頑張りが報われてほしいな、と思える環境に新卒で入れたのは本当に幸せなことだったなと思います。

細切れに分業化された仕事のパーツだけでなく、提案からディレクション、運用、納品まで全工程に関わって、アカウントプランナーという職種名以上に広範な経験ができたこと。そして、Webプロモーションという時流の早い中で、運良くフラッシュマーケティングやソーシャルゲームといった、その時々で「旬」なクライアントを担当させてもらいながら来れたこと。年次や実力以上に大きなクライアントを受け持たせてもらえたこと。
まだまだ小さな組織だったから、いずれももしかしたら「やらざるを得なかった」という方が正しいかもしれないけど(笑)、それでどれだけ貴重な経験をさせてもらって、成長させてもらえたことか。本当にありがとうございました。

ずっと、たとえどんなことがあろうと、少なくとも「逃げたな、自分に負けたな」と思って去りたくはないとだけは思っていました。何か具体的な形として成し遂げられたものがあるわけではないですが、少なくともそういう後ろめたさを覚えなくてすむ程度には、自分の意地を貫き通して一生懸命やりきれたかなと思います。
今回、自分から退職を申し出ておきながら、正直、引き止めていただけたのもすごくありがたかったし、申し訳ない気持ちもありました。でもそれ以上に、最後には新しい環境でチャレンジすることを快く応援してもらえたこと、本当に感謝しています。

「未来には運命なんてないと思え 過去は正しく定めと思え」。

未来はこれからいくらでもいい方向に変えていけるし、今まで過ごしたすべてがあってこそ今の自分がいる。その昨日までの過去が正しかったと証明できるような、そして「あいつは新しい道を選んでよかったんだ」と思ってもらえるような活躍を見せるのが、お世話になったみなさんへの何よりの恩返しだと思っています。見ててください。

 

これからは、ライフワークとして掲げている「あらゆるクリエイションに対してきちんと評価と対価が巡る仕組みをつくる」という思いを形にすべく動き出すきっかけになったイベントや、プロジェクトデザイン講座で関わらせてもらった、そして今これを書いている場所でもある株式会社ロフトワークに、縁あってジョインさせていただくことになりました。

どうやって前述のライフワークを実現させるか、と考えた時に、思いの強さで負けることはないけれど、形として実現させる力が足りないと痛感していました。実際の制作の現場で、喉から手が出るほど欲しいつくり上げるというスキルと経験を積めるし、何より「クリエイティブを流通させること」をミッションに掲げてクリエイターに活躍の場を創り出しているロフトワークのベクトルは、そのまま自分のベクトルと一致している。これ以上ない環境だと思います。
もちろん、勉強しに行くわけではないので、 もっともっとロフトワークを面白くできるように、新しい風としてこれからのロフトワークを一緒につくっていけるように、精一杯頑張ります。

 

今まで積み重ねてきたものには自信を持って、これからの経験には素直に。

どうもありがとうございました!そしてよろしくお願いします!

Tokyo “ART FAIR” weekend -「観る」から「買う」をつなぐものは?- by Yuki Takai

前回の更新から早半年も経ってしまった…。

さて、先週末はG-tokyo 2012とTOKYO FRONTLINE 2012というふたつのアートフェアへ行ってみました。どちらも初参加。

 

G-tokyo 2012

森アーツセンターギャラリーで行われるG-tokyo 2012は、今年で3回目を迎えるプレミアムアートフェア。

紹介にもある通り、ギャラリー数・作品点数こそ多くないものの、見知った作家や作品も多かったし、ただの見本市ではなく上質な鑑賞体験ができるよう演出された空間もさすが。

特にミヅマアートギャラリー棚田康司さんの展示は、まさに、一本木造りの彫刻作品を「魅せる」空間。『風の少年』の表情とか、絹糸とライトの風船が観る者のストーリーをかき立てる。

『ナミカゼ』アーティスト:棚田康司

『ナミカゼ』アーティスト:棚田康司

hiromiyoshiiの『風鈴と車輪』(泉太郎さん)も良かった。ペインティングに映像を重ねた作品なんだけど、ペインティングはその映像の中の作業の結果生まれたもので、でも重ねて投影される映像は今まさに色を乗せていくところで、目の前にある作品と、その制作過程の時間軸がループして、感覚をひっくり返される。好みの作品。75万円。

そういう、完全に「観る」モードで楽しんだものがあった一方で、アートフェアならではの「買う」モードの楽しみというのも確かにあった。ざっと目を走らせて、自分好みのテイストかどうかで絞り込んで、部屋に飾るとしたらどうかを想像して。「買える」という前提で観るのは、やっぱり普段の鑑賞とはちょっと違う感覚。

特に、GALLERY SIDE 2で観た、月に手を伸ばしている写真で、月と手の間のプリントを折り曲げることによって、空間に奥行きと渇望感を与えていた渡辺泰子さんの『moon [grasp] space』とか、トタンに描かれた、満月にショベルカーが佇む姿がポップかつ寂しげな、占部史人さんの『At the full moon』なんかは、現実的に飾るレベルで欲しかった。でも、比較的ミニマルなこれらでも、それぞれ12万円と22万円。ちょっとそれでも手が出ない。

ホールでのα Exhibitionでは、比較的安価な若手作家のスモールピースが揃ってて、実際に作品を買うことの楽しさ・作品を所有する喜びを感じてもらう機会を創造しようという意思が感じられて良かったし、ぜひそういうのはアートを手に取る裾野を広げるためにもっとやってほしいと思う。アートフェアじゃないけど、DMO ARTSの『My First ART』のカジュアルさとかもすごくいい。

でもそれだけじゃ、いつまで経ってもライトなコレクターはごくごく小品しか買えないし、「アートの裾野を広げる=買いやすい作品」っていうことだけになってしまう。それってアーティストが本来描きたいものやサイズだとは限らないし、突き詰めたらちょっと気の利いた雑貨と変わらなくなってしまう。ただのアートファンからアートコレクター・アートオーナーへ引き上げるためには、ひとつパラダイムシフトが必要だと改めて思った。

 

TOKYO FRONTLINE 2012

TOKYO FRONTLINEは、後藤繁雄さんがオーガナイザーをつとめる、今年で2年目のアートフェア。3331ARTSChiyodaにて。

名和晃平さんのプロデュースする SANDWICH Projectや、ヤノベケンジさんなどの錚々たる面子に加え、将来性のある日本やアジアの若手アーティストも多く揃えた野心的な布陣。

個人的に気になった作品をいくつか。

こちらの窪田美樹さんの作品、かなり近づいてみるまで分からなかったが、なんと、人の身体に彫られた刺青を撮影した写真のプリントを材料に作られたもの。人体に刻み込まれた平面の菩薩が立体的に起こされると、これはこれで妙な神々しさがある。21万円。

樹脂の中に爆発を閉じ込めたのは、loftwork × isand JAPANの『Welcome! Art Office』でもお話させていただいた木村泰平さんの作品。爆発が作り出す有機的な形は、顔料の鮮やかさと相まって、生物や器官にも似たグロテスクさと神秘を思わせる。各9万円。(実はこれはTOKYO FRONTLINEへの出品ではなかったけど)

台湾のアーティスト、丁建中(DIN Chin-Chung)さんの『空屋』は、暗闇のなか宙に浮かぶ光源を、写真で撮影してつなげることで、大きな光の輪を浮かびあがらせる映像作品。これも直感的で文句なしにカッコ良かった。

元中学校である3331ARTSChiyodaの空気感も相まって、雰囲気はG-tokyo 2012とはいい意味で対照的。こっちの方がお祭り的だったかな。

 

「観る」から「買う」をつなぐものは?

今回も、欲しいと思った作品は多々あったものの、やっぱり買えなかった。買わなかった。

理由のひとつは先述の通り、「価格」。これは、単純に可処分所得との兼ね合いのはなしだけど、やっぱり高い。10万円、20万円をぽんとは出せない。

そしてもうひとつは、「価値」。今回、初めてアートフェアに参加してみて、普段の展覧会での「観る」モードと「買う」モードの違いは何か、「観る」モードから「買う」モードへのスイッチがどこにあるのか、を意識しながら巡った。

当たり前に聞こえるかも知れないけど、買うことを決めるスイッチは、端的に言えば、「自分にとって金額と同等以上の価値があると思えるかどうか」だと思う。じゃあ、どうしたらその「価値」を実感することができるか?

TOKYO FRONTLINEの帰り道にTwitterで目にした、世界有数のアートアドバイザー、アラン・シュワルツマンのインタビューについてのテキストが興味深い。

 “村上隆の場合でさえ、その名前、作品を知っているところから何かが彼の中でクリックして、直感的に理解するまでに色々な段階(偶然いくつかの作品を見る、それをよく知っている人に説明してもらう、そしてまたいくつも作品を目にする、ある所でクリックする)を経ていることがわかる。このクリックするというのは難しいが、自分なりに言葉にすると、それまで受容してきたたくさんのその作品、作家に対するテキスト、ビジュアルの情報などが自分の脳の中で無意識的にいくつもの結節点をつくっていき、それがある一定の数に達したときに 何か発見したような気になるという感覚かなと思う。

これだけアートに通じた人が、これだけ世界中で評価されている村上隆の作品を前にしたときでさえ、そのスイッチをクリック、つまりそのアーティストや作品の「面白味」を理解する瞬間はそう簡単には訪れない。

アーティストの意図と、現代美術のコンテクストの中での位置が分からないと、面白味も伝わらないし、評価もできない。評価ができなければ、価値があるかどうかは判断できない。今回ふたつのアートフェアへ行ってみて、価格もさることながら感じたハードルはそこ。つまり、身も蓋もない言い方をすれば、「分からないものに金は払えない」ということ。アラン・シュワルツマンにとってのティム・ブラム的な機能の持ち方については、もう少し工夫の余地はあるはず。

一方で、どちらのアートフェアも大盛況だったことが証明するように、「観る」だけでなく「買う」ことに興味がある人もたくさんいる。絶対に。

ただ、もしその人たちが「買う」への一歩を踏み出してくれたとしても、このままだと、ごく一部の精通したコアなコレクター以外は、馬の見た目だけで馬券を買うようなアートの買い方しかできない。ただ競馬に参加することだけを楽しむならいいけど、これから伸びそう、とか美術史的に意味がある、って分かって買う方が断然深い悦びがあるはず。(投機的な買い方は個人的には好きじゃないからギャンブルに例えるのは抵抗あるけど)

例えば、この花の写真。実は、その場では一瞥して通り過ぎてしまったものだが、写真を50枚も60枚も重ねた故の色合いだと知ってから見れば、その意図が色合いに意味を与えて、全く別のものとして胸に映る。

これは単純な例だけど、アートマーケットの成立のためには、そういうレベルから、作家や作品とライトコレクターになりうる一般消費者をつなげる存在(ブリッジメディア)が絶対に必要だと思う。

もちろんその場のギャラリースタッフに聞けば丁寧に説明してくれるけど、きっと、そのブリッジメディアになるような人は多分ギャラリー側の人じゃない方がいい。立場上、どうしてもギャラリーは内側(作家側)を向きがちだし、外から見たらやっぱり遠い存在。

理想は、作家にも買う側にもどちらにも寄り過ぎず、かつスマートな情報量で価値判断への示唆を与えられるもの。その点、雑誌BRUTUSの元副編集長である鈴木芳雄さんが手がけた「コビケンは生きている」展の解説シートは素晴らしかった。

例えば、この会田誠の『無題(通称:下手)』に付けられた解説はこのような感じ。

“これは完全にコンセプチュアル・アート。中国の山水水墨画様式を取りながら、お笑いを狙った「脱力系」作品。意外かもしれないが、会田は自分では決して絵がうまいと思っていないようで、海外に行くなら中国の奥地に水墨画を習いに行きたいと言っていたこともある。「情けない」自分の表明である。一方で、室町時代の水墨画にも見られるように、「そこはかとない情けなさ」(=下手)は、日本美術の美徳でもある。下手なものに味を見出すという趣味は、日本に古くからあるものなのだ。いつも完璧な作品ばかり目指すのではなく、たまにこうした「肩すかし」的な、確信犯的な駄作がある点が会田という作家の魅力でもあり、全体のクオリティを上げているといえる。”

「駄作」と言いながら、その枕詞に「確信犯的な」という言葉がついているように、初見でこの作品を見ただけではまず分からないような、会田誠という作家のバイオグラフィの中でこの作品が果たす役割がすっと入ってくる。のみならず、その「そこはかとない情けなさ」の味わいが会田誠の中で閉じるものではなく、日本美術史の中で位置付けられるものだということまでもが、わずか300字強のテキストに収まっている。

作品と同じくらい、その周辺で作品と観る者をつなぐ存在(ブリッジメディア)の重要性を感じた経験だった。

まとめると、

  • アートを買うハードルは、「価格」と「価値」。
  • 買うスイッチは、「お金を払う価値を感じられるかどうか」。
  •  そして、その「価値」を理解するためには、アートとの間を取り持つ存在(ブリッジメディア)が必要。

「価格」のハードルについては、払いたい金額分だけの所有権を購入することで超えられる。

インタビュー、ギャラリートーク、キャプションなどのソフト・コンテンツ次第で、「価値」のハードルについても超えられる。

前回ともつながってきた。この構想サービスがアートとライトファンをつなぐブリッジメディアとして機能して、クリエイションと対価を伴う評価が巡るプラットフォームになればいい。可能性も意味も、充分にあると思う。

アートシェアの可能性 ‐ 『それでもボクは買ってない』 by Yuki Takai

先日、loftwork × isand JAPANの「Welcome! Art Office」に行ってきました。
loftworkのイベントスペース兼オフィスで若手作家の作品を展示・販売するイベント。

以前「『アートを買う』ということ」というエントリでも書いたけど、若手作家やインディーズアートをどう健全な形でマーケットに乗せるか、ということを考えていたので、直接アーティストやギャラリーの方と話ができたのは本当によかった。

思ってることは決して間違ってないと思えたという意味でも、その上で課題を突きつけられたという意味でも。

当日のレポートはこちらからどうぞ。

表現する人と見る人が出会うオフィス | Welcome! Art Office

“作品はギャラリーで売るだけでのビジネスではなく、人がいるところにアート作品があって、それを欲しい人がその場で購入する。そんなビジネスの可能性があるはず”(loftwork 林千晶さん)

これは本当にそう。というより、そもそもアート作品を買える場所がなさすぎる。
比較的興味がある方だと思ってる自分でさえ、欲しいと思ったときにどこへ買いに行ったらいいのか正直よく分からない。
「あの作家の作品好きだからちょっとそこのギャラリーまで買いに行ってくるね」って場面を想像してみたけど、やっぱり生活動線から外れすぎて不自然というか無理があるでしょ?
そう考えると、やっぱりまだ「場」としてのアートマーケットの不在というか、需要と供給のミスマッチがあると思う。
このままだときっとずっと、アートは美術館に「観に行くもの」のままで「購入するもの」にはならないだろうし、アーティストとファンの間には壁ができたままになっちゃうんじゃないか。
だから「Welcome! Art Office」は大歓迎だし、こういう場がもっとできて欲しいと思ってる。

“表現する人と見る人の距離をつなげる出会いの場を作っていきたい。アートはアーティストの思いがあって、伝えたい気持ちから作品ができていく。その思いを見る側がもっと共有し、アーティストを応援する、協力する、アーティストの気持ちのカケラをもらう。そんな感覚でアートを身近に感じて欲しい”(island JAPAN 伊藤悠さん)

今回の「Welcome! Art Office」が特に良かったのは、実際に作品を制作したアーティストから直接作品に対する思いのプレゼンテーションがあったこと。
繰り返しになるけど、良くも悪くも、特に現代アートってその作品の背景や意図=コンテクストを楽しむゲーム的な側面があるから、何の事前情報もないまま「感じろ!」というスタンスで観るのと、参考までにだとしても、作家が本来意図した「解答例」や「楽しみ方」を頭に置いてから観るのとでは面白さが全然違う。

何より、生活かけて好きなことに打ち込んでるひとの、好きなことについての話を聞いて楽しくないはずがない。
特に、今回の作家さんたちはみんな20代で世代的にも近かったし、前述の通り、決してアーティストの置かれた状況が楽なものじゃないのも分かってるから、「やっぱりゆくゆくは作品一本で食べていけるようになりたいですね」なんて笑って話すのを聞いてると、余計に共感もするし応援したい気持ちも増す。
単純だけど、やっぱりそういうことをアーティスト自身の言葉で伝えること、コミュニケーションすることが、いちばんファンとアートマーケットの裾野を広げることにつながるような気がする。

いちばんのアート支援はなんといっても「作品が売れる」こと。
そのためにもっとアートとの出会いの接点を増やすこと。
もっとアーティストとのコミュニケーションの場を増やすこと。
もっとアートが気軽に買える仕組みを作ること。

必要だなって考えていたことは間違ってない、という気持ちは話してて強くなった。

でも。
同時に事実として突きつけられたのが、「それでも俺は買わなかった」ということ。
「買えなかった」と書こうとしたけど違う。「買わなかった」。
これだけ偉そうにアートを買う意義を語っているにも関わらず。
あんなに話して応援したいと思ったにも関わらず。

自己嫌悪はもちろんあるけど、その理由を突き詰めて考えることには意味があると思う。
自分で買わないのに他のひとにアートを買う理由を提示はできない。
逆に言えば、そのハードルさえクリアできる仕組みがあれば、アートマーケットが広がる可能性は充分にあるんじゃないか。

思いつくままに買わなかった理由を列挙してみる。

作品にそこまでの魅力がなかった?
決してそんなことはないし、そんな言い方をしてしまったら先に進まない。
むしろ、そんな出会いでなければ買えない前提なのであれば、そもそものハードルが高すぎる。一生のうちににいくつも買えやしない。

値段の高さ?
否定はしきれないかもしれない。当日販売されていた作品は、安いものであれば3万〜6万円程度から買えるものがあったし、この値段は実際、アーティストがかけた労力や時間を考えれば、いくらの儲けにもならないくらい安い設定だったと思う。
でも、それでも、情けない話だけど、個人的にすぐにその場でポンと即決できる金額でもなかったというのが正直なところ。

プロダクト、「物」だということ?
これは難しい。プロダクトとしての物質性があるからこそ、専有することに価値があるとも言える反面、狭い住宅事情もあって飾る場所・保管場所を考えるとちょっと躊躇してしまったのも確か。

結局、買うことで応援したい気持ちはありつつも、こういった諸々が頭を駆け巡るうちに、買うという踏ん切りがつかなかったというのが実際のところだったと思う。

じゃあ、「即決できるくらいの安い価格で、場所を気にしないで済むくらいの小さなアート作品が増えればいいのか」、というとそれもちょっと違う気がする。小品しか売れない状況では大きなマーケットの成長は難しいだろうし、作家が作りたいもの・表現したいものを満たせない規模のものばかりになってしまうかもしれない。そうなったらそれはアートではなくただの雑貨だ。

アート作品の単価を下げることなく、自分のできる範囲で支援するハードルを下げること。
大作でも少額から買えるような仕組み、つまり「アートのシェア、共同購入・共同保有」がその解決策になるんじゃないか。

例えば、こんなWebサービスがあったらどうだろう。

  • アーティストは、自分の作品にキャプションと値段を付けてサイト上に出品できる。
  • ユーザは、欲しい・応援したいと思った作品に対して好きな値段を支払って、その金額分の「所有権」を買う。
  • 購入者(オーナー)は、所有権の保有比率に応じて、実際の作品のレンタルやオートクチュール権などのリターンが得られる。
  • 他のユーザの支払い分も含めて設定金額に達したら、作品を共同購入してどこかギャラリースペースで保管。もちろん単独で価格の100%を支払った場合はそのユーザが好きに保有してもいい。
  • 購入した作品は、保有比率の表示とともにデジタルデータとしてマイページに追加されてゆき、自分だけのアートコレクションとなる。また、そのコレクションはソーシャルメディアにコネクトして共有・拡散が可能。
  • ギャラリースペースに保管された作品は、オーナーの名前や保有比率のキャプションを付けて展示、一般公開される。

アート版Kickstarter+デジタルコレクション共有機能というか。

値段の高さに対するハードルは、共同購入することで自分の可能な範囲の負担で済むことで下げられる。

プロダクトとしての物質性に対するハードルは、デジタルデータとしてサイト上にコレクションできることと、実際に飾りたくなれば保有比率に応じてレンタルすることもできることで解決できる。

つまり、プロダクトそのものの所有権だけでなく、「所有感」と「支援したい気持ちの充実」を売る仕組み。
アートを買う生活上のタッチポイントがないこともWeb上でECサイト化することで解決できるんじゃないか。
欲しい作品があればリクエスト申請できてもいいかもしれない。

もし「共同購入・デジタルコレクション共有」の仕組みが上手くいけば、アーティストにとっては小品から大作まで買ってもらえる間口が広がるし、プロモーション・ファン獲得につながるかもしれない。
ユーザにとっては、欲しい作品を少額から買える=自分のできる範囲でアーティスト支援ができるし、マイページのアートコレクションはそれ自体が周りへ自己表現として発信可能なコンテンツにもなる。

ひとつのWebサービスとして考えたときにマネタイズの難しさはあるけど、サイト上で売買される金額の何%かを手数料として取るとか、成約された作品を一般展示するときに入場料を取るとか、方法が全くないわけじゃない。
マイページのコレクションルームをデコレーションするデジタルアイテムを売ってもいいかも。

この机上の空論が果たしてどれだけ上手くいくかは分からないけど、資本主義経済である以上、助成金とか以外のところで、少しずつでもお金が需要と供給の間で循環する仕組みを作らないとアートは強くならないし、いつ死んでもおかしくない。
プロ・インディーズに関わらず、アーティストと受け手の間でコミュニケーションとお金が巡る生態系を作ることは、これからあらゆるクリエイションにとって重要になってくる気がする。

これ、本気でやりたい。

でも、サイト制作のスキルはないし、ひとりでできることに限りがあるのも分かってる。
もし共感してくれる方がいたらぜひご連絡ください。特にプログラミングできるひと!
一緒にクリエイションのビオトープを作りましょう。

『EXIT THROUGH THE GIFT SHOP』 by Yuki Takai

7/16(土)に公開を控えた話題のバンクシー初監督作品、『EXIT THROUGH THE GIFT SHOP』
CINRA.NETで車上特別試写会が当たったので一足先に行ってきました。

場所は渋谷。都内各地で見かけた人もいるであろう、こちらのバンクシーカーに乗り込んでの車上試写会。残念ながら車内は撮影禁止だったので写真はないけど、大きめの液晶ディスプレイに5席の革張りソファといった内装。

バンクシーカーが走りだすと同時にいざ上映開始。走りながらの鑑賞だったけど取り敢えず酔わなくてよかった(笑)。当然外は見えないしどこをどう走ったのか分からなかったけど、渋谷のグラフィティを巡りながらとかだったら一層面白かったかも、というのは贅沢か。

 

***

 

90分間の本編を観終えて。
これを「バンクシーの映画」と呼ぶのは適切じゃない。ただ、まさしく「バンクシーの監督作品」。多分そういう映画。

タイルで作ったインベーダーをストリートに増殖させ続けるスペース・インベーダーや、「OBEY」の文字と共にアンドレ・ザ・ジャイアントをモチーフにしたステッカーを世界中にばらまいたシェパード・フェアリーなどのグラフィティ・アーティストの活動を追うドキュメンタリーから始まり、ストリート・アート界に彗星のごとく現れた「彼」の姿を通して現代アートシーンを描く。

正直、元々グラフィティ・アート、ストリート・アートについては全然詳しくなくて、本当にこの映画を観ながら知っていった感じなんだけど、ただの「落書き」ではなく「アート」のくくりで語られる理由が分かった気がする。

“最初はただ内輪のジョークだったんだ。ただ、内輪のジョークでも、同じ物が街中に増えていけば、何かそれが意味を持つように見えてくる。見る人が勝手にその意味を議論するようになる” (シェパード・フェアリー「OBEY」「アンドレ・ザ・ジャイアント」について)

個人的にはアートの定義のひとつとして「既存の価値観に疑問を投げかけ、別の視点を提示するもの」というのがあると思う。そういう意味では確かにストリート・グラフィティにはアートの本質と通ずる部分がある。
バンクシーがガザ地区の隔壁に描いたグラフィティなんかもまさに、銃弾飛び交う場所にある壁の存在を改めて問いかけているという意味で象徴的だし、だからこそ注目を浴びたんだと思う。
グラフィティ・アートは、「見慣れた日常」であるストリートにある建造物をヴァンダリズムによって“破壊”することで、半強制的に別の視点を見るものに提示する。この間のchim↑pomの『明日の神話』の件が一種のハプニング・アートとしてバンクシーと比較されるのも多分そういうことだろう。

また、主人公である「彼」が初めてアーティストとして活動を始め、その魅力に取り憑かれ、のめり込んでいく様子も興味深い。
アーティストとして制作活動を行う上で、ストリート・アートとその他の現代アートで異なる点を挙げるとすれば、きっとこの2点だと思う。
ひとつは「誰にでも見てもらえる」ということ。
ふたつ目は「反応がダイレクトにある」ということ(それが作品を消されるということや、逮捕のリスクという形であったとしても)。
これは非常にインターネット的というか、通じる魅力・近しい特性があると思う。注目されるべくして今、注目されているのかも知れない。

ネット的といえば、本編のクライマックスである「彼」がスターダムにのし上がる契機となったショーの場面も当てはまる。
詳しくは触れないでおくけど、「彼」はいわばオープンソース、クラウドソーシング的な型破りな手法で一大ショーを作り上げ、大成功を成功を収める(収めてしまう)。

既存の価値観・ルールへのカウンターとしてストリート・アートがあるとして、さらに今までのストリート・アートですらカウンターにしてしまう「彼」の在り方を目にしたとき、元々のタイトルとして予定していた『クソのような作品をバカに売りつける方法』、そして最終的につけられた『EXIT THROUGH THE GIFT SHOP』というタイトルが意味深に迫る。「カワイイはつくれる!」じゃないけど、「アートはつくれる!」というか。きっと観たら最初に “これを「バンクシーの映画」と呼ぶのは適切じゃない。ただ、まさしく「バンクシーの監督作品」” と書いた意味が分かるはず。

特に後半、端々ににじみ出るこのメタ的な批評には何度もニヤリとさせられた。
でも、そんな小難しいことは置いておいたとしても、陳腐な言い方だけど、思い込んでやり切る強さや行動力のもつパワーが不思議と清々しい。

「アートを買う」ということ by Yuki Takai

日本橋高島屋にて開催中(6/20まで)の『ZIPANGU』展に行ってきた。

三瀬夏之助『だから僕はこの一瞬を永遠のものにしてみせる』2010

三瀬夏之助『だから僕はこの一瞬を永遠のものにしてみせる』2010

単純に、和紙とか絵絹に金箔・岩絵具ってガンメタリックでかっこいいよなー。

こういう作品と日本特有のサブカルチャーや湿度が、進むごとに顔を出し合ってリアルタイムな「ジパング」を表していた。

高島屋の8階ホールは初めて行ったけど、180年間ある意味文化を支えてきた百貨店の底力を垣間見た気がする。展示内容については見てのお楽しみという部分もあるので詳しい言及は避けるけど、思っていた以上にボリュームも充実してた。

今日はたまたまあった山本太郎さんのギャラリートークを聴いていて、特に締めの言葉が印象に残ったので今キーボードを叩いている。

「ライブと同じように、展覧会の熱狂をつくるのはアーティストでもスタッフだけでもなく、みなさんひとりひとりのお客さんです。見終わったら『こんなの行ってきた』だけでも批判でもいい、直接でもTwitterでもいいから伝えてください。メディアに取り上げられる以上にそれが展覧会の熱狂をつくるんです」
「あと、ここを出たら展示に負けないくらい充実したグッズコーナーがあるんで、ぜひご覧になっていってください。この屏風を高島屋の包装紙にくるんで抱えて帰っていただけるなら別なんでしょうが、展覧会ってなかなかその感動を持ち帰りづらいものだと思うんです。ポストカード一枚でも買って思い出を持ち帰ってください」

もしかしたら、こうして営業みたいなことを言われるのは人によっては抵抗とか違和感を覚えるかも知れないけど、個人的にはアーティスト自身がちゃんとこういうことを主張するって大事なことだと思う。すごく。

当たり前だけど、見に来てもらわなきゃ伝わらないし、売れなきゃ食っていけない。

俺はアート面白いと思うから、そんなことでアートがなくなったりしてほしくないし、そんなことでアーティストになるのを諦める人はひとりでも減ってほしい。

ギャラリートークを聴いて改めて思ったけど、作品の解説についてもそう。当然、観る側はタイトルとか画材とかディスコグラフィからその作品の意図やコンテクストを読み取ろうとはするし、そしてそれは必ずしも作り手の頭の中と合致している必要性はないところがアート鑑賞のひとつの愉しみだと思うけど、作家が意図した一種の「回答例」を踏まえて観るのとでは、やっぱり得られる情報は格段に違う。

ちなみに山口晃も今回の展示作の末尾に解説の漫画を描いていて(本作に関しては結果的に解説にはなっていないオチをつけているけど)同じようなことを言っているが、100%伝わり切らなくても、例え意訳にしかならない危険性があったとしても、アーティスト自身が伝える努力をせずに「作品を観て感じろ」というのは、誤解を恐れずに言えば怠慢な気がする。

だって俺を含めてそんなに分かんないもん。残念ながらそれが今の大多数のアートリテラシー。これは義務教育レベルで教わっていない欠落の問題だと思う。

突き詰めると、そこから変えなきゃずっとこのままアートは一部の「特殊な層」の中で閉じられたままだし、「生活の一部」になるのなんて夢のまた夢。

せっかく作品という形で凝縮・結晶化させたものを一から十までほどいて噛み砕いて見せるのは、もしかしたらアーティストにとっては歯がゆかったり恥ずかしかったりもするのかも知れないけど、文章でもいいから作品の意図や背景は丁寧すぎるくらいに説明して、見所や「楽しみ方」を明示した方がいいと思う。今はまず。じゃないともったいない。

その上で、今のアートを取り巻くこういう殻を破るには、アートはその「見所・楽しみ方」とリンクするところで他の「生活圏」の領域に侵食していくしかないんじゃないか。それこそヴィレッジ・ヴァンガードで似た世界観のマンガの隣に置くとか、IKEAでソファと一緒に売るとか。多分アートがギャラリーの中にしかないうちは狭いアート・クラスタの内側だけで生産・消費されてく状況は変わらない。

そんなことを考えていて、ふと浮かんだのがブックコーディネーター内沼晋太郎さん活動。例えば、一冊の文庫本とカフェのセットとか、本が生活の中で生きるシーン丸ごとプレゼンテーションしている。そんな風に、アートも生活の中で果たす「機能」を具体的にイメージさせることがヒントになる気がする。

もちろん、アート作品は文庫本ほど気軽に買えるものばかりじゃないし、所有するだけが楽しみ方じゃないけど、そういう生活の中でワークするミニマルなアートもあっていいと思うし、今はそれが少なすぎると思う。

自分で初めて絵を買ったとき、金額的にはそんなに高い物ではなかったけど、あんなに「物を買う」って行為を意識したのは初めてだった。不思議に充実した気持ちになって、すごく豊かなお金の使い方だと思った。だから、アートをもっと花を買うみたいに誰かに贈れたらいいし、欲を言えばただ「綺麗だから」だけじゃなくて、花言葉みたいに「この作品にはこんなメッセージがあるんだよ」って伝えられたらもっといい。そして、好きな作家ができたら、CDを買うみたいに作品を買って、ライブに行くみたいに展覧会に行って、インディーズバンドを応援するような軽やかさで生活に溶け込んだらいい。

そういう意味で、『CHOICES FOR GIFTS』展とか、『¥2010 exhibition』、最近だとアートフェア京都とか若手アーティストのオークション『STORY...』はそんな端緒になりそうですごく共振した。

***

この日はジパング展の後、前回のエントリでも触れたCAMPFIRE石田さんこのツイートを見て渋谷SECOBARへ。

入場無料だったし時間的にもちょうどよかったからという軽い気持ちだったから、『FREE PATH』というイベントの詳細はほとんど知らずに行ったんだけど、これがよかった。

メインイベントのひとつが、アートのフリーペーパーFree Art Magazine Sに参加しているアーティストたちの『¥0〜オークション』

イベントの性質的にも、多分この日は客層も特にアートやクリエイティブに興味の強いひとたちが多かったと思うけど、それでも入札の手が挙がるのはまばらで妙な緊張感が走ったり。

でも、最終的には4、5千円〜1万円ほどの価格ですべての作品に買い手がついた。作り手として納得のいく金額なのかどうかは分からないし、込めた思いとかかけた労力を思えばきっとそれは安すぎる値段なんだろうと思うけど、やっぱり買い手のついた瞬間のアーティストたちは嬉しそうに見えた。それだけじゃなく、その場で作り手と買い手の間で会話が生まれて、お金だけじゃないお互いの「ありがとう」が交わされてファンになる瞬間が見えた。

落札してないので人のことは何も言えないけど、「アートを買う」という行為のリアルな重さと位置づけが見えたし、同時にそこから生まれるつながりが確信できてすごく興味深かった。最初に出た作品は落としておけばよかったなとちょっと後悔してる。

アートオークションの次はいよいよCAMPFIREのトークライブ。ここで前述のFree Art Magazine Sエディター陣がCAMPFIREへプロジェクトを生プレゼン。そのプロジェクト概要は以下の通り。

「若手アーティストたちが制作しながら住めるような“場”が欲しい。カレンダーとかは家の中に飾るけど、アートが生活の中にあるイメージや文化はまだまだないから、誰もが自由に見に来れるような家を借りて、絵だけじゃなくマグカップとかカーテンとか家具とか、最終的には全部が若手作家のアートでできた家をつくって、その中で生活する豊かさを提示したい」

誰もが思っていることだと言えばそれまでだけど、つい数時間前まで考えていたこととほぼ同じことを耳にするシンクロニシティには、大げさだけど軽く運命的なものを感じた。ひと回り外の興味にリアルタイムでつなげていけるtwitterのセレンディピティをこんなに感じたことはないかも知れない。

もしこれがCAMPFIREのプロジェクトになった場合、パトロンのリターンとしては、それこそ「生活の中の小さなアート」を買えるようにしてもいいし、制作過程をコンテンツ化して共有してもいい。リアルな“場”ができるから、そこでパトロン限定のイベントをやってもいいし、ゲストルームに泊まれるようにしてもいい。可能性のあるアイデアだと思う。

***

生活の中でワークするアートの価値の提示、それをお金を出して買うことで得られるものの提示、これがしっかりできたら割と本気で日本変わる気がする。今はもっと「アート」の外側で、アートの外側にいるひとたちに引っかかるようなイベントがしたい。

それには全く異質の「アートの外側」を結びつけるキュレーション能力と、そこにいるひとたちにちゃんと響かせられるだけの編集力が必要。もっともっとつけなきゃいけないなー。協力、求ム。

Think Big, Act Quick. by Yuki Takai

第3回Samurai Venture Summitに参加してきました。
自分自身は今はスタートアップをしているわけではないけど、行ってよかった。
示唆に富む言葉やいい刺激がたくさんあったので、印象に残った部分をピックアップして紹介します。

 

「世界を狙う起業家に必要な心構えとは?〜season2〜」孫泰蔵氏

まずは孫泰蔵氏(@TaizoSon)のセッションで幕開け。
トーク自体も面白かったが、結果的にSVS全体を象徴する内容だったと思う。

起業家は楽観的でないとできないが、理性がある以上本当に楽観的になるのはとても難しい。
本当に楽観的になるためには、あらゆることを考え抜いてとことん突き詰めるしかない。
考え尽くして努力し尽くして、初めて「ここまでやったのだからどうなっても後悔はない」
という楽観的な境地に辿りつける。
ある意味、人を説得する方が簡単。自分の方がごまかせない。

考え抜いて突き詰める過程で、無駄とか迷いが削ぎ落とされていく。
そうしてアイデアや思いを「志」まで純化した強さがアントレプレナーには求められると理解した。

「世界」を狙うためには何が必要か。
まずは日本で成功すること? まずは身近な人に喜んでもらうこと?
それも正しいけど、まずは何よりも「英語」。最初から英語でサービスを作ることが大事。
そうすると全世界の人が使う前提になって思考回路が変わってくる。
「まずは日本で」というのが一種の言い訳・逃げになってはいけない。
そういう思考回路だと、結局小さくまとまって終わってしまうケースが多い。

ぐさっとくる。「身近な大切な人を喜ばせられずに世界でなんて受け入れられるはずがない」なんてカッコイイこと言ってしまいそうになるけど、エクスキューズだと言われると言葉に詰まる。
そんな居心地の悪さに明快なアンサー。

“Lean Startups”の時代
クラウドサービスが広がってサーバなどのインフラ保有コストが劇的に下がったことと、
twitter、facebookなどのソーシャルメディアのインフラ化によって、
バイラルに広がる素地が整ってきたことで、少数・少額でスタートアップできるようになった。
アメリカの有力エンジェル達はビジネスモデルは見ない。
経営者の人柄とサービスのプロトタイプだけを見て投資するかどうかを判断する。

スタートアップの急増はただのバブルではなく理由がある。
体力もブランドもないベンチャーの最大関門であるランニングコストとプロモーションが今までと比べれば限りなく無料に近くなっているのはかなりハードルを下げていると思う。

ちょっとずれるけど、多くのサービスがAPI公開されてクラウド上に漂っている今、その「フラグメント×フラグメント×エッセンス」で無限のクリエイションの可能性があると思う。
そんなフラグメント化する世界では、誰でもオープンソースでサービスの断片を利用できる以上、エッセンスの価値が最重要になるはず。
エンジェル達が見ているのはプレゼン資料ではなくその部分なんだと思った。

世界で成功する起業家になるために大切な5つのポイント
1. Think Big
2. Different
3. Convincing
4. Simple
5. Logical
無理かなと思っても志のあるものを考えろ。
シリコンバレーと比べて日本が能力的に劣っているとは全く思わない。
差があるとすればそこだけの差。

世界を狙わなければ世界で戦えない。
説得力がなければビッグインパクトは起こせない。
コピー不可で、シンプルで、論理的なもの。
大切なエッセンスはこの5項目に凝縮されているが、
これこそまさに言うは易く行なうは難し。

“5-Year-Lasting Service”
5年後の常識になるサービスを「今」作るとビッグインパクトになる。
Gmailはメールサービスでは最後発だったが、当時では圧倒的な2GBという容量をもって一気にシェアを獲得していった。
ただ今となっては2GBという容量に驚きはない。

逆に言えばそれだけのスピードが求められるし、それだけ先を走っていないとビッグインパクトは起こせない。

サグラダ・ファミリアは世界で唯一、工事現場を見せて入場料を取っている観光地。
それなのに観光客はみんな感動して喜んでお金を払っている。なぜか?
ガウディはそれぞれの塔に設置する鐘の音階を決め、各鐘の共鳴具合を考えて鳴らす曲まで作曲し、
完成した暁にはサグラダ・ファミリア全体が使徒と神の降臨を表す楽器となるよう設計した。
観光客はそのガウディの構想の壮大さに感動してお金を払っている。

ガウディの夢をつむぐ手助けをしたい、ガウディの夢に「参加」し当事者になりたい、という思いがお金を払うモチベーションになっているサグラダ・ファミリアは、いわばソーシャルやベンチャーの理想形。
応援することも体験、参加することも体験。
なんでもデジタルでコピー可能な世界で、コピー不能な「体験」の価値は相対的に高まっているから、「応援したい気持ちにお金を払う」ってモチベーションが生まれる。
これがソーシャルコマースの原点なのかもしれない。

 

「ポジティブウェブ2011」Grow! カズワタベ氏、ハイパーインターネッツ 家入氏・石田氏、Labit.Inc 鶴田氏

次に参加したのはこのセッション。「ポジティブウェブ」とは、
“全世界の人がそのサービスのユーザだと仮定したとき、世界が良くなると思うもの”。

それを踏まえて、今後の目指すべきWeb像を語るという、なかなか答えのないこの難しいお題に対してどういう言葉が出てくるのか。個人的にすごく共感・注目している4人だったので楽しみだった。
まずは各サービスとパネラーの紹介。

Grow!
ソーシャル・パトロン・プラットフォーム。
クリエイターが自分のサイトやコンテンツに「Grow!」ボタンを設置し、それがクリックされると1クリック=1$がユーザからクリエイターに支払われる仕組み。また、ユーザ間のGrow!はtwitterやfacebookで共有・拡散されるので、それがまたクリエイターを応援する設計になっている。

Grow!のやりたいこと
1. 創造的なモノへの、「社会全体からの持続的投資」
2. クリエイティブの、「サステナビリティの向上」
3. 消費者による、「能動的な価格設定」機会の創出
4. 「人と結びついた感動」の共有
5. インターネットを活用した「パトロンのソーシャル化」

CCOをつとめるカズワタベさん(@kazzwatabe)が今回のモデレーター。

CAMPFIRE
マイクロ・パトロン・プラットフォーム。
クリエイターが新しくプロジェクトを立ち上げる際に、ユーザ=パトロンから少額ずつ支援を募って資金を得られるサービス。目標金額に達したら、クリエイターはパトロンにそのリターンとしてモノや体験を返すことで、金銭的な授受だけでなく、ユーザはそのプロジェクトへの参加感を、クリエイターはあらかじめファンを得ることができる仕組み。
indieGoGoとかkickstarterのローカライズ版だと思えば分かりやすい。 ※参照

パネラーとして家入さん(@hbkr)と石田さん(@kohex)が登壇。

Pray for Japan
慶応義塾大学SFC生の鶴田浩之さん(@mocchicc)が作ったサイト。
#prayforjapanのハッシュタグでtwitterに流れてくるメッセージをまとめている。
4/25に講談社から書籍としても発売された。

今回の話には特別登場していないけど、鶴田さんのブログの「16歳で起業して4年間やってきて思うこと」という有名なエントリも非常に示唆に富む内容なのでぜひ。
※4/1にLabit.Incを設立したそうなので、こちらから新たに生まれるサービスにも注目。

セッションの内容は、「No tweetでお願いします」(by 家入さん)というものがあったり非常に自由な進行だったので、ここでは印象に残った部分を抜粋。

「例えばTogetterも、便利だけど使い方・まとめ方によっては炎上を引き起こしたりネガティブなものになり得る。」
「実は、この題目に対する答えはもうすでに自分の中で出てしまっていて、結局ネットは人に帰属するからその使い方次第だなと。」
「瓦礫の写真とかもたくさんハッシュタグで流れてくるけれど、Pray for Japanのサイトの運営上のポリシーとしてそういうものは流さないようにしている。」
「そのデザイン、行間、余白もふくめた全体的なコーディネート=キュレーションがPray for Japanをポジティブなものにしている。」
「CAMPFIREも家入さんと石田さんのチェックを経てからプロジェクトとしてアップされるので、悪意のあるプロジェクトが勝手に資金を集めることにはならないし、Grow!も基本的にはユーザの『いいね!』という気持ちに基づいてGrow!されるので、悪意が働きづらい仕組みになっている。そういう意味ではCAMPFIREもGrow!も一種のキュレーションメディア。」

結局、Webがポジティブなものになるかどうかは、誰がどうキュレーションするかに担保されるということ。
そう聞くと、そんなの当たり前じゃん、という気もするけれど、ソーシャルの時代に今改めてそれを認識するのは結構大事なことだと思う。
使い方・使われ方によっては誰かを傷つけたりする可能性があるというWebの大前提を意識した上で、善意がスパイラルするような仕組みを設計できたサービスだけが、最後までユーザに使われて残っていく気がする。

題目とは少しずれるのであとがき的に書くけど、Pray for Japanの何がすごいかというと、震災発生からわずか2時間で作ったというところ。
もちろん、その後アップデートを続けて今の形になっているのだけれど、きっとそのタイミング・そのスピード感でリリースされていなければこれだけ多くの人の目に触れて話題にはなっていないと思う。

また、「CAMPFIREは新たに生まれるコンテンツを支援するサービス、Grow!はすでにあるコンテンツを支援するサービス」というくだりも頭に残った。
もはやある意味「すでに何でもある時代」、新たなクリエイションの多くはMADに代表されるようにコンテンツとコンテンツのかけ合わせというか、見せ方・編集の仕方次第で付加価値を付けるものになってくると思う。そこでユーザがコンテンツを量産できるような、クリエイションの敷居を下げるようなサービスができれば、これらと絡んでもっとシナジー生めるのではと思った。やりたい。

 

「ソーシャルコマースの現状と今後の展望」Nagisa 横山氏、Flutter Scape 柿山氏、Whyteboard 碇氏、Livlis 川崎氏

これも超楽しみだったセッション。
モデレーターはNagisaの横山さん(@Y_Yokoyama)。ソーシャルコマースサービスの立ち上げ準備中とのこと。

FLUTTER SCAPE
柿山さん(@hirrro)が上智大学卒業後に立ち上げたFLUTTER SCAPEは、世界中の人たちがそれぞれ「好きなもの」の写真を共有してつながるサービス。
それがそのままwish listになっていて、欲しい人に欲しいものを売ることができる。
いわば外国の人たちがそのままキュレーターとなって「Cool!」だと思うものを紹介してくれる仕組み。「日本の日常は海外に売れる」。
参照

面白いのは、wish listというカタログ=コンテンツはユーザのソーシャルグラフによって勝手に生成されていくところ。あとはそれで顕在化したニーズに対してモノを仕入れて売ればいい。
売る側からも買う側からもハッピーに手数料を取れるので、在庫も持たずに粗利率20%とのこと。

WhiteboardF-auction
碇さん(@ikalii)は大学在学中に無料の傘シェアリングサービスSHIBUKASAを立ち上げた後、今は新たにfacebook上でのオークションサービスF-auctionを立ち上げ中。

facebook上のコマースは「F-commerce」と呼ばれる。
F-auctionは、facebookアプリ上でPayPalを使ってユーザの「売りたい」「買いたい」をマッチングするシンプルなサービスだけど、facebookの実名性・信頼性から生まれるコミュニケーションやストーリーがオークションの新たな価値になる。

Auction 2.0
1. Real name
2. World wide
3. Taste graph, Interest gragh

livlis
ご存知Livlisは、元はてなの川崎さん(@yukawasa)が立ち上げた、twitterを通じてモノをあげたりもらったりできるサービス。

「個人がモノを通じて人と出会うサービスにしたい。」
「人+位置情報=ヒトトナリ」
「3年後には、ソーシャル×ローカル×アジア×スマートフォンがカギになる。」

これから目指す姿としては、スマートフォンの位置情報を使って、例えば「半径何m以内で買える物、買いたい人と売りたい人をマッチングする」ようなサービスとのこと。

あと、非常に興味深かったのが品物の受け渡しのエピソード。

Livlisでは「郵送」と「手渡し」とが選択できるが、「手渡し」は最初冗談半分で作った。
だけど実際に蓋を開けてみればほとんどの人が手渡しで品物の受け渡しをしている。
ある女性ユーザいわく、「郵便番号と住所を公開してストーカーされるリスクより、駅とか衆人環視の中で刺されるリスクの方がずっと低い」。

実際にそういうリスク面の問題もあるだろうし、ソーシャル経由だとお互いの信頼に基づいた取引だからということも要因としてあると思う。ソーシャルグラフでつながる人とリアルで会うことへの興味もあるかもしれない。個人的にも引越しの際にtwitter経由で直接不用品をゆずり渡した経験があるけど、いずれにしても、「郵送よりも手渡し」というのがソーシャル時代の気分なんだと思う。

また、全体のセッションから出てきた印象に残った言葉をピックアップ。

「トランザクションを増やす設計より、リアクションを増やす設計ができればサービスとして勝てる。コミュニケーションが生まれなければ、結局売れない。」
「だんだん値段でモノを買わなくなってくる。友人がいいと言っているもの、共感できるものなら買うようになる。」
「スーパーの試食ってすごいと思うんですよね。買わざるを得ない空気出てるじゃないですか。あればおそらく高いCVRを誇っているはず。あのおばちゃんの感じがWebで実現できればそれこそソーシャルコマースですよ。」

笑いも起きてたけど、割と本質かもしれない。ソーシャルコマースの理想は試食のおばちゃんですよ。

 

「facebookを活用して取り組むべきビジネス・取り組みにくいビジネスとは?」ブレークスルーパートナーズ 赤羽氏

見た中でもうひとつまとめとして触れておきたいのがブレークスルーパートナーズ赤羽さん(@YujiAkaba)のお話。

ソーシャルメディアの最新事例などのプレゼン資料は全部下記SlideShareで公開されてるので詳細は割愛。

『Facebook、twitter等ソーシャルプラットフォームを活用したサービス立ち上げ』

・facebook、twitterはつなげるだけじゃダメ。もはやフル活用が大前提
・すべての既存サービスがソーシャル化でWebに置き換えられていく中にビジネスチャンスがある
・自分がやらなければすぐに他の誰かがやってしまう
・最初から世界が対象。英語は超重要。チームにひとりはネイティブ並みのメンバーを
・経験より、熱意・アグレッシブさ・感度・人への好奇心・細部へのこだわりがカギ
・2〜3ヶ月でサービスリリースするスピード感とフットワークが必要
マネタイズを考えて事業計画を考えるのは重要ではなくなってくる。
それよりスピード。計画を立てる間に、本当にいいサービスをさっさと作れ。
いいサービスといっても、放っておいてもリアルで口コミが起こるくらいすごいサービスでなければ成功しない。
ただ、スピード感をもって本当にすごいサービスが作れればお金は後からいくらでもついてくる。

夢もチャンスもいくらでもある。でも、「本当にすごいサービスを誰よりも早く」作れなければ成功できない。
ソーシャルの時代ではユーザの反応もダイレクトだし、合わなければすぐに使われなくなる。しかも競合もあっという間に乱立してくる。今はもしかしたら本当にドライで残酷な時代なのかもしれない。
でももう一度言うけど、夢もチャンスもいくらでもある。大事。

 

※全体については、他にもいくつかまとめてくれている方がいるのであわせてどうぞ。
「孫泰蔵さんの「世界を狙う起業家に必要な心構えとは?」10のまとめ」by イセオサムさん(@ossam
「第3回 Samurai Venture Summit 活気とシャウトで充満」 by 本荘修二さん(@shonjo
【写真レポート】第3回Samurai Venture Summit【本田】
Togetter「SVS3」

最後に、上記以外にも気になったサービスを紹介。

 

■WishScope
Zawattからローンチ予定のサービス。
CAMPFIREのプロジェクトが個人のwish listに置き換わるイメージ。
欲しい物を公開して、例えば「買ってくれたら生写真3枚あげます」みたいに支援者を募る。
このスキームはいろいろ応用効きそうなので今後増えてくるかも。

getstage
ミュージシャンやダンサーなどのアーティストと仕事をつなげるプラットフォームサービス。
アーティストは月額費用525円でプロモーションページに登録して、募集されているステージに応募できる。募集する側はギャラ設定をして案件掲載する。
ありそうでなかったサービスだけど、こういうアーティストやクリエイションの裾野を広げて支援するサービスは個人的に共感するので応援したい。

LikeaLittle
アメリカの大学生の間で絶賛拡大中の「ソーシャル出会い系」サービス。
学校ごとに掲示板があって、そこに見かけた気になる異性の特徴を書きこんでいく。
面白いのはそれが「匿名」で行われるということ。
「この書き込みってもしかして俺のことかな…?誰か気にしてくれてる女の子がいるのかも…!」
なんて、シャイな日本の大学生にもめっちゃ流行りそう。 ※参照

 

いろんな人と話せたし本当にいい刺激を受けた。
たくさんのスタートアップサービスがあって、正直、その中にはピンとこなかったりマネタイズどうするんだろうって思うものもあったりもしたけど、誰もが誇らしげに、楽しそうに自分のサービスを語る姿がすごく印象的だった。
セッションの中にも何度も「マネタイズよりもスピード、そしてコンセプトの壮大さ」という言葉が出てきたけど、誰よりもやっぱり自分が「このサービスが成功すればこんないい世界になる!」って夢を信じて語ることがファン・支援者を増やす欠かせない第一歩なんだなと改めて。

「語れる夢」があることは、逆に言えば新たな出会いを得るために必要な一種のパスポートなのかもしれない。

 

P.S.エイトレントさんがセグウェイの体験試乗ブースを出してたので初めてセグウェイ乗りました。バイク×スノボみたいで楽しい。

『名前のない少年、脚のない少女』 by Yuki Takai

レビューを読んで気になっていた映画『名前のない少年、脚のない少女』の東京公開が昨日までだったので駆け込みで観てきた。初のシアター・イメージフォーラム

映画自体は、ストーリーというよりは主人公の心象を投影したような画のコラージュに近い。

正直、そこからプロットを読み取ろうとするのはすごく難解だった。

後から知ったけど、舞台はブラジルといっても、南部のドイツ系移民が集まるエウトニアという小さな町らしく、文化的な背景とか空気感を探りながら観なきゃならなかったのも一層それを難しくしてたと思う。
(というかあらかじめ公式サイト見てから行けばよかったって話ですね…)

そんな難解さも手伝って、第一印象は、自己陶酔的な映像と観客に文脈の読み解きを委ねる一種の傲慢さが一言で言えば自主制作っぽいなーと。

ただ、これについては監督自身がこう言っているので、狙ってたというか自覚的な部分はあったのかも。

これは、例えば隠れたトリックが最後に明かされて驚かせるような映画ではなくて、感情の映画であり、感覚的な映画なんです。

実は主人公「名前のない少年 “ミスター・タンブリンマン”」(エンリケ・ラレー)も「脚のない少女 “ジングル・ジャングル”」(トゥアネ・エジェルス)も、キャストはみんな実際に舞台となったエウトニアで暮らしているティーンエイジャーたちから選ばれているとのこと。※参照

27歳(当時)という監督の若さや、少年たちの一種のドキュメンタリー性ももしかしたら「自主制作的」と感じさせたひとつの理由だったのかもしれない。

また、劇中に登場するジングル・ジャングルのYouTubeflickrは今でも実際に公開されている。

映画を観たあと、僕らは実際にこれらにアクセスすることによって、主人公の感覚を追体験することができる。

劇中のものを現実に持ってくるのは映画の企画としてはそんなに目新しいことじゃないけど、リアルな生活に居場所を見つけられず閉塞感を抱えながら、今はもういないネット上の少女の世界に惹かれ耽溺していく少年を描いたこの作品に関しては、ここまでしてやっと「一本の映画を観る」という行為が完結するのかもしれない。

正直、ここまで書いててもまだラスト15分間は理解できてないし、誰にでも面白いとおすすめできる映画かというとたぶん違うけど、その時の気持ちのコンディション次第で何度でも違う感じを受け取れそうな気がするという意味ではもう一度観たいし、分からないなりに色々語りたくなる映画だとは思う。

東京は終了しちゃったけど、横浜はじめ各地では順次公開とのことなので興味があればどうぞ。

あるドメインの物語 by Yuki Takai

2年前、ひっそりとひとつのドメインを取った。
放置したままで迎えたそいつの更新通知がメールボックスに届いている。
 
***
 
一説によると、人間の人格・志向の根本はほとんど15歳までに決まるらしい。
俺の場合、それは14歳だった。
 
「整髪料はつけてはいけません」
「靴は真っ白な運動靴でなければいけません」
「ジャージのファスナーは開けてはいけません」。
 
「中学生らしい身だしなみ」ってなんだよ。
「校則だから」の一言で権威的に抑えつける不条理さ、最初はそれに対する反発が種だったのかもしれない。
まあ、どこの中学生でも通るような他愛もないことだけど。
 
はっきり意識したのは中学二年のとき。
 
エキセントリックな少年犯罪が相次いで起こった。
「キレる17歳」というラベリングが広まるのはすぐだった。
 
青少年はモンスター扱い。
 
もちろん法を犯すのは決して許されることではないし、彼らを擁護するつもりは全くないけど、なんか違う気がした。
俺たちのなにを知ってるの?
「心の闇」なんて曖昧な言葉で分かったように自分たち青少年を語る大人が憎かった。
それを煽って拡散するメディアも嫌いだった。
 
だったら俺がそちら側の人間になって、若者の思いをちゃんと伝えて見せてやる。
「ジャーナリスト」。
将来の夢として具体的な職業を思い描いたのはこれが初めてだった。
今思えば甘すぎる考えだと思うけど、会社とか嫌いな大人の組織に近づきたくなくて、フリーでも成り立つ仕事っていうのも大きかったと思う。
 
そんな中学への反発で、高校は地域でいちばん校則がゆるいところを選んで受験した。
 
部活はずっとやりたかった軽音楽部でバンドを組んだ。
当時は青春パンク全盛。コピーバンドだったし、そんなに上手くはなかったかもしれないけど、楽しかったんだよね。すげー楽しかった。
うるさいって言われて、部室が教室からプールの更衣室に追いやられたのもいい思い出。
スタジオとって、ビラ刷って、チケットつくって、イベント組んで他校のバンド仲間たちとライブして。
バンドに明け暮れたってほどじゃなかったかもしれないけど、モッシュとダイブとoiコールに満ちたちっちゃなステージはそのまま青春。
 
大学は、メディア論が学びたくて社会学系の学部を目指した。
第一志望の決め手は、その中でも二年からゼミで専攻できるところ。
 
サークルは、ステージに立つだけじゃなくて、ライブっていうあの空間自体をつくる側からの景色ももっと見てみたくて、ライブイベントを企画・運営するところに入った。
コンセプトの立案からブッキング、協賛営業、ビラまき、設営・運営まで、全部自分たちでやった。
一年かけて文化祭やってるような感じ。
勉強がてら夏フェスにスタッフバイトしに行ったりもした。
 
ロゴのラフ案とか書いて持っていったりしてるうちにイベントパンフレットの制作をやらせてもらえることになって、このとき始めてイラレにさわった。
いま思うと、パンフレットの制作なんて三年の先輩にとっては最後の思い出になる仕事だったのに、入ったばっかの一年生だった俺にかなりの裁量を任せてくれたことは本当にありがたいと思ってる。
 
緊張で声震わせながらTRICERATOPSにインタビューしたり、印刷所に持って行っては突き返されてやり直したりしながら、徹夜で入稿ギリギリに刷り上げた5,000部。誇らしかった。
 
イベント当日の開演前、たくさんのお客さんがフロアに座って読みふけってる。
会場警備しながら横目で見たその光景は、俺にとっては正直、ライブアクトと同じくらいぐっとくる瞬間だった。
帰るとき、大事そうにカバンにしまってくれる光景も、わきあがるオーディエンスの歓声と同じくらいに最高だった。
 
心底思った。
物でもイベントでも、やっぱり自分で手動かしててつくるのって楽しい。
それが喜んでもらえたとき、認められたときって、めっちゃ気持ちいい。
「ものをつくる仕事」について考え始めたのはこのとき。
 
それに加えて、当時はアートディレクターブームでデザイナーの独立とかクリエイティブエージェンシーが増えてた時期で、ものも作れる上にゆくゆくはフリーとか独立できる道があるかも、っていう不純な動機も手伝って広告業界が気になり始めてた。
デザインももともと好きだったけど、美大・芸大でもないし、文章書くのはわりと嫌いじゃなかったからコピーライターとかいいかも、みたいな。
貯金はたいて宣伝会議に通った。
 
三年にもなると、いよいよ先のことも考え始めるし、実際のところも直接見たくて、新聞社でアルバイトを始めた。
ジャーナリストなのか広告なのか、自分の中で見極めたかったのかもしれない。
 
日々、裏側から報道が生まれる現場を見るのはすごく刺激的だったし、記者さんやデスクが日夜遅くまで戦う姿も素直にすごいなって思った。
でも、当たり前だけどジャーナリズムは個人の主張じゃない。
自分の気持ちとは真逆の記事を書かなきゃいけないことももちろんある。
いや、むしろその方が多いかもしれない。
頭では分かってるつもりだったし、何の仕事をするにしてもそれは一緒だけど、中学のころ嫌っていたことを自分を騙しながらすることもあるのかと思うと、その葛藤に折り合いをつけて抱えながら俺にできる仕事じゃないなとも思った。
 
結局、何がしたいのかっていう問いに明確な答えは用意できないまま就活の時期は来て、色んな会社の説明を聞いた。
当然、そりゃどこだっていいことばかりアピールするし、そもそも今までがこういうナナメに見る感じできてるから、内心しらけて練習台にすることもあった。
 
でも、それでも。
どの企業も誰かを不幸にしようとなんてしてないんだ、何かしら、心のどこかにはほんのかけらであっても「世界をよくしたい、誰かの役に立ちたい」って気持ちを持って大人はみんな仕事してんだな、って感じることも意外と多かった。
あんなに憎んでいた大人たちも、そんなに悪くないのかも。
ちょっとだけ、そう思えた。
 
ふと、中学生の頃に広告で流れてた言葉がよぎった。
「ふつうの17歳なんか、ひとりもいない。」
au by KDDI、秋山晶のコピー。
 
正直、実際その当時はこの広告に特別な思い入れがあった記憶はないんだけど、このコピーを思い出したとき、線がつながった気がした。
ギラギラに大人を敵視してた14歳のころの自分がちょっと救われた気がした。
ああ、ちゃんと分かってくれる大人もいたんじゃん、って思った。
 
「大人」の社会活動である広告を通して、「大人」の社会活動である企業のいいところを伝えることで、
あのときの自分とおんなじように感じてる少年たちに、こんどは俺が「世の中、思ってるほど悪くないぜ?」って言ってやれたらいいな。
 
それが、本気で広告を志したきっかけ。
 
結局、入社したのはネットの広告代理店。
配属はアド・マーケットプレイスの新事業に乗り出したばかりの関連会社。
直接自分で言葉をつむぐコピーライターにはなれなかったけど、ベンチャーの戦う精神には響くところがあって入社を決めた。まあ、選り好みできるような選択肢はなかったんだけど。
 
働き始めて3年目になる。
正直、最初に思い焦がれた動機と現状とのギャップはあるよ。俺が今、閉塞感を感じてる少年たちに伝えられてることなんてない。
 
でもその間、インターネットの変化はめざましかった。
ソーシャルメディアが出てきて、色んなプラットフォームが出てきて、あらゆるところがダイレクトにつながれるようになった。あらゆるところからダイレクトに広がれるようになった。
 
大好きなあのアーティストに直接言葉を投げられる。
無名のミュージシャンが、プログラマが、一夜で有名人になる。
今ではありうることかもしれないけど、ちょっと前じゃ考えられなかったこと。
 
これはすごく大きなことだと思う。本当に。
 
プロとかデビューとか、今まで「上」に行く道は俺が敵視してたような体制とか権威が牛耳っていて
ほんのせまい何本かの道しかなかったけど、ツールやソフトの発展とか、ソーシャルメディアとかが一気にたくさんの近道をつくってしまった。むしろ道を広げて更地にしてしまったというか。バンプじゃないけど、まさに「360°すべて道なんだ」。
今までの体制とか権威とか、上下関係をひっくりかえす、これって俺は革命そのものだと思う。
 
その瞬間をネットの現場で目撃してる。立ち会えてる。
それだけでも、今この場所にいる意味はあったと思う。
 
七尾旅人が言ってる。
「例えば、島根県にいる子が100万ダウンロードとかいって、世界中に影響力を持つ可能性だってある。まだまだいくらでも夢を見れるんだよ」。
 
文章でも、音楽でも、アプリでも、ウェブサービスでも。
自分が生み出した表現って、大げさじゃなく自分の分身みたいなものだと思う。
そんな自分の分身が何らかの形で世に出て、他人に評価される。わずかでも誰かがお金を払って認めてくれる。
この資本主義社会の中で、俺はそれ以上に自己承認欲求が満たされることってないと思う。
俺ならすげーうれしい。どんなもやもやも吹き飛ぶくらいに。
そういううれしいことがもっと増えていけば、今の世の中をなんとなく覆う閉塞感なんてすぐになくなると思う。
 
その喜びを感じるチャンスはもう一部のプロとか特権階級だけのものじゃない。
 
俺自身はアーティストでもクリエイターでもないけど、だからこそ、もっと、ミリシャ(市民兵)の革命を見たいし、関わりたい。
 
きっと、つくること、つくるひとを増やすこと、つくったものを広げること、つくったものをきちんと評価すること、それらはぜんぶ、閉塞感やあらゆる抑圧に対するレジスタンス。
 
***
 
高校も大学も推薦とかAOじゃなくて自分でちゃんと受験することを選んだのも、ちっちゃいことだけどきっと今思えばそういう大人の手とか仕組みに将来をゆだねたくないって意識がどこかにあったと思うし、宣伝会議の広告講座で箭内さんの「風とロック 広告キャンプ」を選んだのも、やっぱりどこかで相通じる匂いをかぎとったからなんだと思う。
 
事業としては一時撤退を余儀なくされたけど、アド・マーケットプレイスにも、特権的な「代理店」の手から広告を「一般市民」へ開放できるんじゃないかって夢をみてた。
 
こうして振り返れば、
 
不条理な校則への反発も、
横暴な大人への怒りも、
かき鳴らしたパンクロックも、
若者やベンチャーへの共感も、
革命への憧れやときめきも、
 
気がつけば、いつだって俺を動かすエネルギーは権力や体制に対する反骨心だった。
 
紆余曲折してるけど、線は途切れてない。
 
***
 
2年前、取ったドメインは「revoltmark.com」。
 
「revoltmark」。反逆の旗印。
 
ちょっとカッコつけすぎな造語なのは自覚してるけど、ことの始まりが中二だから仕方ない。
 
このドメインでなにしてやろうか。
そろそろその旗をふりかざすときについて考えてみるのもいいかもしれない。
 
大人が嫌いだった14歳もとうとう、25歳のいい大人になります。
 
25歳を迎える夜の備忘録。